シンゴムラカミとサンバのこと



シンゴムラカミは、密着インタビューを終えたあと、ホテルへ帰る。そこでのシンゴムラカミは、今までのエンターティナーぶりが嘘みたいに静かで、淡々としている。
冷蔵庫を開けて、ビールがないことに腹を立て、舌打ちし、フロントにオーダーの電話をする。ビールがくるまでにシャワーを浴びる時間、シンゴムラカミは舞台から姿を消し、観客はひたすらシャワーの水音と、ホテルから見える夜景だけを感じる。
ソファーには脱ぎ散らかされた服。
シャワーを浴びたシンゴムラカミはバスローブで登場し、ホテルマンから受け取った瓶ビールをコップに注ぎ、飲み干す。
マネージャーからかかってくる電話。「仕事の電話はしてくるな」と怒る。刑事物の主役が決まったらしいが、シンゴムラカミは難しい顔をして、「俺、ほんまにその仕事合うてるんかな。亮とか大倉とかおるやん」と話す。そのあともポツポツと仕事への疑問を呈したあと、話を聞かないマネージャーに怒って、携帯をソファへ投げつける。
「俺がやりたいことはこんなんちゃうねん。俺の本当にやりたいことはな、こういうことなんや!」
そう叫んだシンゴムラカミは、バスローブを脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てたバスローブの下は、カーニバルのきらびやかな衣装。さっきまでの難しい顔とは真反対の、くしゃくしゃして八重歯を剥き出しにした笑顔で、サンバの音楽にのって踊り狂ったのだった。
これが、全村上信五ファンにディープインパクト並みの感動と恋心をもたらした、かの"イフオアⅧ"の大オチだ。 文字に起こすとより一層混沌としていて訳がわからなくてオモロイ。きっと今見たら腹を抱えて笑うかもしれない。とんでもなくナンセンスで、それまでのしっとりとしたセクシーな雰囲気をぶち壊すオチで、最後に笑わせて終わるところがなんとも村上くんらしい。


 

私は初見のとき、サンバを踊るシンゴムラカミを見て泣いてしまった。そのとき、
理由ははっきりとはしなかった。ただ、会場を包む笑い声の真ん中で踊る村上くんが煌めいて眩しくて、胸が締め付けられて、無性に切なくなったのを覚えている。

 

 

 


あれから一年がたった。
この一年、村上くんには特に大きな知らせはなかった。ヒルナンデス卒業と、レコメンのパートナーの交代、それくらいだった。
春の出来事は悲しかったけれど、まあ、乗り越えた。ただの傍観者である私が乗り越えるものでもないけど、村上くんは木曜日を落ち着いて過ごせるようになったと逐一報告してくれたし、後輩とのレコメンも楽しそうにやってくれている。だから、あれで良かったのかなと思えるようになった。


何もなかったから、ゆっくり村上くんを見ることができた。新しいレギュラーはない。むしろ一つ減った。今まで通り今までの仕事に向き合う村上くんを、今まで通りテレビで見ていた。
そしてときたま、あのサンバを思い出した。二枚目スターだったシンゴムラカミの、本当にやりたいこと。

 

 

 

 


私はあのとき、あのサンバの不思議な切なさを、「二枚目の村上信五」が、村上信五によって否定されたと思ったことによるものだと整理した。それはマイナスな意味ではない。二枚目を否定して、みんなを笑わせながら踊る私の好きな人は、とても眩しかった。「俺はやっぱりこっち(二枚目)じゃない。俺は笑わせる方が性に合う」という意味のサンバだと思った。そして、みんなが笑うなら、みんなを笑わせるのが彼の仕事なら、それは仕方ないし、とても格好良いことじゃないか、と自分に言い聞かせた。
だが、一年を通して村上くんをみてきて、少しずつ、あのサンバの感じ方が違ってきた。

 


オチ要員にされ、ユニットでは唯一キャラで登場し、ライブでは死に、散々な扱われ方をされているのが不満でないわけではない。"お笑いキャラ"を全肯定できるほど、私のメンタルは強くなかった。だって、やっぱり彼は私の唯一の人だ。村上くんのことが世界の誰よりもかっこいいと思ったから、自担と呼ぶことにしたのだ。



あのサンバは、きっと、「三枚目の村上信五を胸を張って応援すること、素直に楽しむこと」を、肯定してくれたのだと、今は思う。夜ふかしは演出、キングはプロである証。私はずっと夜ふかしもキングも楽しんできたつもりだったが、それでもどこかで本当は村上くんだって二枚目がやりたいのに、本当はあんなに格好良いのに、というモヤモヤを抱えながら、村上くんを見ていた。笑われる村上くんを笑ってしまったら、私も村上くんをバカにしている世間と一緒になる。あのサンバは、そんな風に考えてしまう私の頭を、もうええって、俺は楽しんでやってるから安心しいや、とぽんぽん優しく叩いてくれた気がしたのだ。ぽんぽん優しくというか、ハンマーで思いっきり殴られるような衝撃はあったけれど。


勿論、ホテルの演出、大スターのシンゴムラカミ、もっと言えば前回のイフオアVIIによって、二枚目の村上信五を求めることもしっかり肯定してくれている。彼は分かっている。だって自分が性的な目で見られている自覚がなければ、ただ夜景が見える間接照明のイイ感じの誰もいない部屋で、自分の浴びてるシャワーの音を延々聞かせたりしないだろう!
パブリックの聴衆ではない、自分に特別な愛情を注ぐ人たちのことも、村上くんはちゃんと分かっている。そういう人だ。言葉には出さないけど、彼はそういうアイドルだ。


格好良くてセクシーな村上くんを好きでいることも、それでも世間での三枚目キャラを楽しんで笑うことも、村上くんは肯定してくれた。ライブやテレビ、そしてイフオアの、すべての村上くんを素直に楽しむことを、肯定してくれた。私はそう感じた。だからきっと、安心して、その気遣いがちょっぴり切なくて、分かってくれていることが嬉しくて、涙が出たのだと、やっとわかった。

 

 



イフオアに意味をもたせて、こうだと決めつけるのは好きではない。彼は意味ありげに、意味のない舞台をする。それこそがあの人だと思う。そしてそれが目茶苦茶格好良い。それがイフオアを観劇する醍醐味であるとも思う。でも、やっぱりその裏に隠された意味を考えてしまうのがオタクという生き物である。
まあ村上くんのことだからやっぱり何も考えていないかもしれない。もしかしたら全然別の意味を含ませているかもしれない。村上くんのことは未だにこれっぽっちも分からない。だけどそんなのはもうどうだっていい。だって本人が公言しているように、"イフオアには意味がない"から。それでも私はあのサンバに、くだらなさとバカバカしさ、村上くんの、ぶっきらぼうだけどあたたかい優しさを、はっきりと感じたことだけが、紛れもない事実なのだ。

 


今年もイフオアが始まって終わる。そして春が来る。
大阪10公演は終わってしまった。幸せな大阪楽だった。涙を拭くために持っていったタオルは使わなかった。ただ笑って終わった。去年とは違う形の舞台だったけれど、それでも今年もずっと、彼は優しくてあたたかかった。 
私はグローブ座であと数公演観る予定だ。捉えどころのないあの面白くて不思議なアイドルの、それでも確かなファンへの優しさを感じながら、幸せな気持ちでイフオアⅨを全うして、春を迎えようと思う。