とりあえず感想

関ジャニ∞ニューアルバム ジャム、聴きました。
一周してみて、フラゲ日ですがネタバレにならない程度の簡単な感想を書き残しておきます。夏が終わった時、感想がどう変わってるか楽しみ!

 

 

 

 

世間でジャムフィーバーが起こるなか、正直私はあまり期待していなかったのだが(ごめん)、一聴した限りではとても良い!というのも、不安要素としては、少しアーティストを頼りすぎではないかと思ったのだ。

しかし少なくとも危惧していたような、提供アーティストと関ジャニの間の乖離、関ジャニ∞をよく知らないアーティストが曲を書くことにより、また、関ジャニ自身がアーティストに任せっきりになりあまりアルバム作りに関わってないことにより、曲が一人歩きしてしまうような現象は起きていないように思う。

 


というかまず、シングルがマジで良い!!涙が出そうなくらい良い。こんなにシングルが存在感を示し、かつ効きまくっているアルバムは初めてではないでしょうか。個々でも良かったが、アルバムに入るとなると、曲と曲とを支える地に足を付ける大黒柱となり、やはり一番歌いやすそうで、関ジャニらしいと思える安心感。シングルカットとはこういうことなのだと思い知らされる感じだ。罪夏もパノラマも侍唄もNOROSHIも、それぞれ本当に、良い。 豪華アーティスト提供にばかり注目がいきがちだけど、2016年の関ジャニ∞のシングルの素晴らしさを改めて感じさせられる。

 



そしてメンバーによる三曲は、いうなれば関ジャニ∞のプロである人たちが作っているので、逆にアーティスト提供曲より何より最高じゃなければならないのである。まあ、言わずもがな例に漏れず最高ですよ!!サイコー!!!

 

 


ということで、後日各曲の感想は書くとして、とりあえず、ジャム想像していたより断然良かったです。アルバム全体としてはJBのように白眉の出来、興奮して眠れないほど物凄く良いというわけでもないけど、それはまだ今のところですからね。これからどんどん思い出や夏の匂いが詰まっていくエモくて良いアルバムになるのでしょう。ライブが楽しみだ〜!

シンゴムラカミとサンバのこと



シンゴムラカミは、密着インタビューを終えたあと、ホテルへ帰る。そこでのシンゴムラカミは、今までのエンターティナーぶりが嘘みたいに静かで、淡々としている。
冷蔵庫を開けて、ビールがないことに腹を立て、舌打ちし、フロントにオーダーの電話をする。ビールがくるまでにシャワーを浴びる時間、シンゴムラカミは舞台から姿を消し、観客はひたすらシャワーの水音と、ホテルから見える夜景だけを感じる。
ソファーには脱ぎ散らかされた服。
シャワーを浴びたシンゴムラカミはバスローブで登場し、ホテルマンから受け取った瓶ビールをコップに注ぎ、飲み干す。
マネージャーからかかってくる電話。「仕事の電話はしてくるな」と怒る。刑事物の主役が決まったらしいが、シンゴムラカミは難しい顔をして、「俺、ほんまにその仕事合うてるんかな。亮とか大倉とかおるやん」と話す。そのあともポツポツと仕事への疑問を呈したあと、話を聞かないマネージャーに怒って、携帯をソファへ投げつける。
「俺がやりたいことはこんなんちゃうねん。俺の本当にやりたいことはな、こういうことなんや!」
そう叫んだシンゴムラカミは、バスローブを脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てたバスローブの下は、カーニバルのきらびやかな衣装。さっきまでの難しい顔とは真反対の、くしゃくしゃして八重歯を剥き出しにした笑顔で、サンバの音楽にのって踊り狂ったのだった。
これが、全村上信五ファンにディープインパクト並みの感動と恋心をもたらした、かの"イフオアⅧ"の大オチだ。 文字に起こすとより一層混沌としていて訳がわからなくてオモロイ。きっと今見たら腹を抱えて笑うかもしれない。とんでもなくナンセンスで、それまでのしっとりとしたセクシーな雰囲気をぶち壊すオチで、最後に笑わせて終わるところがなんとも村上くんらしい。


 

私は初見のとき、サンバを踊るシンゴムラカミを見て泣いてしまった。そのとき、
理由ははっきりとはしなかった。ただ、会場を包む笑い声の真ん中で踊る村上くんが煌めいて眩しくて、胸が締め付けられて、無性に切なくなったのを覚えている。

 

 

 


あれから一年がたった。
この一年、村上くんには特に大きな知らせはなかった。ヒルナンデス卒業と、レコメンのパートナーの交代、それくらいだった。
春の出来事は悲しかったけれど、まあ、乗り越えた。ただの傍観者である私が乗り越えるものでもないけど、村上くんは木曜日を落ち着いて過ごせるようになったと逐一報告してくれたし、後輩とのレコメンも楽しそうにやってくれている。だから、あれで良かったのかなと思えるようになった。


何もなかったから、ゆっくり村上くんを見ることができた。新しいレギュラーはない。むしろ一つ減った。今まで通り今までの仕事に向き合う村上くんを、今まで通りテレビで見ていた。
そしてときたま、あのサンバを思い出した。二枚目スターだったシンゴムラカミの、本当にやりたいこと。

 

 

 

 


私はあのとき、あのサンバの不思議な切なさを、「二枚目の村上信五」が、村上信五によって否定されたと思ったことによるものだと整理した。それはマイナスな意味ではない。二枚目を否定して、みんなを笑わせながら踊る私の好きな人は、とても眩しかった。「俺はやっぱりこっち(二枚目)じゃない。俺は笑わせる方が性に合う」という意味のサンバだと思った。そして、みんなが笑うなら、みんなを笑わせるのが彼の仕事なら、それは仕方ないし、とても格好良いことじゃないか、と自分に言い聞かせた。
だが、一年を通して村上くんをみてきて、少しずつ、あのサンバの感じ方が違ってきた。

 


オチ要員にされ、ユニットでは唯一キャラで登場し、ライブでは死に、散々な扱われ方をされているのが不満でないわけではない。"お笑いキャラ"を全肯定できるほど、私のメンタルは強くなかった。だって、やっぱり彼は私の唯一の人だ。村上くんのことが世界の誰よりもかっこいいと思ったから、自担と呼ぶことにしたのだ。



あのサンバは、きっと、「三枚目の村上信五を胸を張って応援すること、素直に楽しむこと」を、肯定してくれたのだと、今は思う。夜ふかしは演出、キングはプロである証。私はずっと夜ふかしもキングも楽しんできたつもりだったが、それでもどこかで本当は村上くんだって二枚目がやりたいのに、本当はあんなに格好良いのに、というモヤモヤを抱えながら、村上くんを見ていた。笑われる村上くんを笑ってしまったら、私も村上くんをバカにしている世間と一緒になる。あのサンバは、そんな風に考えてしまう私の頭を、もうええって、俺は楽しんでやってるから安心しいや、とぽんぽん優しく叩いてくれた気がしたのだ。ぽんぽん優しくというか、ハンマーで思いっきり殴られるような衝撃はあったけれど。


勿論、ホテルの演出、大スターのシンゴムラカミ、もっと言えば前回のイフオアVIIによって、二枚目の村上信五を求めることもしっかり肯定してくれている。彼は分かっている。だって自分が性的な目で見られている自覚がなければ、ただ夜景が見える間接照明のイイ感じの誰もいない部屋で、自分の浴びてるシャワーの音を延々聞かせたりしないだろう!
パブリックの聴衆ではない、自分に特別な愛情を注ぐ人たちのことも、村上くんはちゃんと分かっている。そういう人だ。言葉には出さないけど、彼はそういうアイドルだ。


格好良くてセクシーな村上くんを好きでいることも、それでも世間での三枚目キャラを楽しんで笑うことも、村上くんは肯定してくれた。ライブやテレビ、そしてイフオアの、すべての村上くんを素直に楽しむことを、肯定してくれた。私はそう感じた。だからきっと、安心して、その気遣いがちょっぴり切なくて、分かってくれていることが嬉しくて、涙が出たのだと、やっとわかった。

 

 



イフオアに意味をもたせて、こうだと決めつけるのは好きではない。彼は意味ありげに、意味のない舞台をする。それこそがあの人だと思う。そしてそれが目茶苦茶格好良い。それがイフオアを観劇する醍醐味であるとも思う。でも、やっぱりその裏に隠された意味を考えてしまうのがオタクという生き物である。
まあ村上くんのことだからやっぱり何も考えていないかもしれない。もしかしたら全然別の意味を含ませているかもしれない。村上くんのことは未だにこれっぽっちも分からない。だけどそんなのはもうどうだっていい。だって本人が公言しているように、"イフオアには意味がない"から。それでも私はあのサンバに、くだらなさとバカバカしさ、村上くんの、ぶっきらぼうだけどあたたかい優しさを、はっきりと感じたことだけが、紛れもない事実なのだ。

 


今年もイフオアが始まって終わる。そして春が来る。
大阪10公演は終わってしまった。幸せな大阪楽だった。涙を拭くために持っていったタオルは使わなかった。ただ笑って終わった。去年とは違う形の舞台だったけれど、それでも今年もずっと、彼は優しくてあたたかかった。 
私はグローブ座であと数公演観る予定だ。捉えどころのないあの面白くて不思議なアイドルの、それでも確かなファンへの優しさを感じながら、幸せな気持ちでイフオアⅨを全うして、春を迎えようと思う。

Their lyrics,Tokyoholic

 

初聴きはTokyo。関ジャニsエイターテインメント東京ドーム二日目の12/16。 聞き慣れないような聞いたことのあるフレーズ。セッションムービーのあの曲だと理解してからそのクールな世界観に惹き込まれるまでは、一瞬だった。音源化は嬉しかったが、ライブのあの高揚と熱気を覚えてしまったら今さら音源なんて物足りなくて聴けたものじゃないやろとタカをくくっていたら、まあ~~~熱い熱い。最高でした。

 

 

NOROSHIの特典である謎のセッションムービー、その答えがこの曲だ。 インストに見せかけておいて死ぬほどお洒落な歌詞をのっけて歌われたこのTokyoholicは、作詞作曲編曲全て錦戸亮というのが最大の特徴である。しかし、編曲ということは全ての楽器の楽譜を作成しているということ….だよね?DTMでぽつぽつ作ってるのかな….ウーロンハイ飲みながら…やばい、、、健気、、、なんて感想を抱く暇はない。聞いたあと、十中八九やべえ!!!!やべえ!!!!!としか言えなくなる。やべえやべえマンになる。というより、作詞作曲編曲錦戸亮ということを忘れるくらい楽曲としての完成度が高すぎる。こんなものを、CD特典として伏線を張られて、ライブで初披露されたらたまったもんじゃないでしょうが………………..最高でした………………ありがとう俺たちのRYOちゃん………………………..。

 

 

 

 

 


というわけで、無事に音源を手に入れたのでライブの時から燻らせていたTokyoholicへの感想、というよりポエムを綴っていきたいと思います。最近は地獄のヨ○ヒナ週のおかげでポエム製造に勢いがついているので、このノリのまま書いていこうと思います。

 

 

 

◯
イントロ



すばるがタンバリンをセットしている音から始まる。ライブももしかしたらそうだったのかもしれないが、忘れた。特徴的なフレーズの、ベースのソロリフからのユニゾンリフ。この、曲の最後まで続く狂ったようなリフレインが、holic、つまり中毒症状を表しているようでお洒落である。
ライブでは、セッション映像後にこのフレーズが流れてAre you ready?という文字がモニターに表示され、最後の一音とともにTokyoholicの文字が映し出され、バンド体系に整えたおっちゃんらにスポットが当たる。この上なくアツすぎる演出だ。初日はこの時点で卒倒しかけた。し、今回のライブのOPと並ぶ一番の血湧き肉踊りポイントとなった。リフはまもなく再び始まり、確かすばるの煽りで手拍子をしたはずだが、忘れた。(忘れすぎ)関係ないですけど、このベースのリフレインは、ジャコ・パストリアスのジャズセッション曲The chikenを彷彿とさせます。
基本的にTokyoholicは、♫ =♩♪という、八分音符を三連休符と見なすジャズ調(スウィング)となっているので、あながち間違いではない見地かもしれないが、そこらへんはRYO NISHIKIDOにしか分かりません。


◯
Aメロ

 

I’m so damn hungry…
Tokyoholicで一番印象的といってもいいこのフレーズ。すばるが比較的軽めに歌う。私は世界のRyoNishikidoと違って海外文化に疎いので、"damn"というワードを知らなかった。調べてみるとスラングなようで、sh*t fu*k と似たような意味合いだそう。非常にRYOちゃんらしいですね。「クッソ腹へってんけど… 」という感じですかね?間違ってたらどなたかツイッターにDMください。それにしてもスラングを歌詞一文目に持ってくるRYOちゃんcoolすぎて泣ける。思わずマスター、ジンをロックでと言いそうになる。
二番の村上くんパートでは、アイムソーダムハングリーとカタカナ表記になる。これはわざとであり、村上くんのクロニクルでの愉快な英会話を表してるとあとから知ったときは感動した。はあ~とんちが効いている。イケてる一休、錦戸亮。マスター、ジンをロックで。あと、村上くんパートでは「満たされへんまままた消化してくエビデイ」で「ままま」と"ま"が続くのだが、ここの"ま"がかわゆい。これもわざとですか?村上くんのま行がかわいいから"ま"を続けたのですか?それとも村上くんがママということ暗に示している?ジンをロックで!!
歌っている最中はリフレインは鳴りやみ、ベースとドラムのタム、ギターカッティング、そしてキーボード。キャップを後ろに被った主人公(RYONISHIKIDO)がガムを噛んで周りにガンを飛ばしながら、ポケットに手を突っ込んで東京の街を歩いているようだ。軽快であると同時に重たい印象を受けるタムのサウンドは、主人公のハイカットシューズのごわごわした足取りを思わせ、ギターのクチャクチャしたカッティングは噛んでいるガムを連想させる。ベースは車のエンジン音。東京の喧騒の中を、主人公は進みつづける。


Why are you so mean to me?
そんなはよ歩かれたら姿も見失うわ
安田くんパート。関ジャニ∞の関西弁曲ってTAKOYAKIとか好きやねんみたいなおちゃらけイメージしかなくて、その関西弁をこんなにオシャレに使いこなしてるのかっこいい!!!関西弁かっこいい!!!かっこいい関西弁使える関ジャニ∞かっこいい!!!と思った。そしてそれを歌ってるのが尼の工業地帯出身・安田章大なのがたまらねえ~(;_;)(;_;)
さて、ここの英語も私には聞き慣れない文法だ。(頭が悪い)調べてみるとmeanには"卑劣である"という形容詞的用法が存在するということ。
be+mean to +(人) = (人)に対して卑劣である
という意味らしいよ受験生~!
「なんでそんな俺に当たり強いん?」というくらいの感じか。なるほどTokyoholicの世界観と合致する。
そしてここでの、この曲での"you"は東京の街、そして東京に住むいけ好かないヤツらを指す。オシャレだ・・・。ジンロック!!
そして二番のRYOちゃんパートだが、これが!!!!!!!本当に最高なのだ。やばいぞ。思い出すだけで泣ける。RYOちゃんが顔をくしゃくしゃにして、「上から見んなやこっちも必死なんじゃ!!!ボケが!!!!」と叫ぶのだ。ボケが はこちらで付け加えたが、たぶん心のなかではそう思っているはずだ。もはや歌っていない。叫んでいた。怒鳴っていた。必死に訴えていた。東京という大都会に住んでいるだけで田舎者を見下すヤツらに、全部勝手に決めてしまう聞き分けのない大人たちに、些細なことで大騒ぎして人のプライベートを踏み荒らすくせにジャーナリズムを気取ってお高くとまるメディアに、何をしてもどれだけ尽くしてもなんにでも文句を垂れるオタクたちに。
RYOちゃんがあんなにくしゃくしゃな顔でこっちも必死なんじゃヴォケ!!!!!!!と吐き捨てる相手が思い当たりすぎて涙が出てくる。そして、RYOちゃんのその形相にあてられたオタクたちから漏れ出た「ヒィッ……….」という悲鳴、そして、日頃何らかに対し「そんな上から見んなやこっちも必死なんじゃヴォケが!!!!!!!」という鬱憤を溜め込んでいるオタクたちの「ウオオオオオオオ!!!!」という賛同が、会場のボルテージを最高潮にぶちあげる。



◯Bメロ

 

how far~からのシンコペーションニゾン、かっこよくて痺れるしかない。どんくらい走ったっけ?!てかどこ向かってるか分かってへんけど!行き先も分かってないまま、ただ歩くのクソ早い東京のヤツらに着いていくのがやっと。
Hey! wait!の掛け合い、ライブでサイコーに楽しかった記憶が蘇る。この掛け合いのために遠征したと言っても過言ではない。wait! は東京の連中に向けてだろうか。掛け合いにのせられて早まるスピード、昂るテンションは、RYOちゃんのHere we go then!で頂点に達する。スネアが暴れる。ベースが唸る。ここから主人公は、走り出す。



◯サビ

 

サビは、Tokyo!+語尾の"り"で韻を踏んでる日本語 という構造。おしゃんなコード進行にのせて、東京の街を人を避けながら駆け抜けていくような疾走感のあるテンポで進んでいく。Tokyo! コールはすばりょ以外のメンバーで、日本語はすばるとRYOちゃんが交互に歌うのだが、これがまた、センス抜群なフレーズの羅列だ。


一番は、東京への期待と、ほろ苦い記憶。
物語の始まり、淡い夢抱いたり、甘い罠に嵌ったり、時にゃ踏んだり蹴ったり。


二番は、東京への反感と、器用じゃない自分に対する嫌気。
ここじゃみんな強がり、見栄っ張りの集まり、気を抜きゃすぐ置き去り、また行き当たりばったり。


そして最後、それでも、東京に見出だす、希望。
終わらない物語、眠らない街明かり、ふと見上げた月明かり、なぜか涙こぼれたり…

 



ここでのすばるとRYOちゃんも、叫んでいる。メンバーのTokyo!コールも吐き捨てるように叫んでいる。
ここのTokyoコール、ライブでも音源でも村上くんの声が一段とデカくてよく聞こえるのだが、ハスキーで力強くて、とてもセクシーだ。自担なこともあり、私のなかで東京で第一線で戦ってる代表格といえばこの人なのだが、そんな男の仕事と酒、煙草で喉をやられたような、荒々しいTokyo!コールを聞くと胸がいっぱいで、泣けてくる。掠れ声は仕事の勲章。蹴散らされてボロボロになって、そのたびに立ち上がって、十分成功を収めたように見えてそれでもまだまだ伸び代があると笑った男の、魂のTokyo!が私の心を揺さぶって離さない。
すばるのガラスのような淀みのない歌声と、RYOちゃんのノイズのようながなり声のコントラストが、より一層東京への情緒を掻き立て、切なくさせる。泣く寸前のような、何かをグッと耐えるような歌声。 一発花火あげたると意気込んでやって来たものの、やってられないことばかりで、ウマの合わないいけ好かない連中ばかりで、彼らとうまくやっていけない自分、そんな場所で働くしか、そんな場所に染まるしか生きていけない自分も好きになれない。東京の路地裏で、なんやねん、と唾を吐いて唇を噛みながら拳を握るメンバーが目に浮かぶようだ。
でも、東京には仕事がある。同じ場所で戦う仲間がいる。唄が歌える。東京は成功する場所だ。遠かった幼い頃からの憧れの場所。そこに今自分は立っている。まだまだ負けていられない。愚痴をこぼして、ときどき泣いて、それでも夜景は綺麗で、だから前を向く。いつか夢が叶う場所を、憎めるわけないじゃないか。きっと好きになることはないけど、ずっと憎めない場所、東京。
東京に対する期待、不信感、 反感、嫌悪、憧憬、渇欲、希望、野望。そういったRYOちゃんの東京観が、関西から腹を据えて出てきた7人の男たちのむさ苦しい覚悟が垣間見えたサビだった。

 

 


◯中間

 


二番Aメロが終わったあとに、なんだか情けない感じのワルツになって丸ちゃんがげんなりするパート(ここは音源の方が好きだった)、大倉くんがダンディーに歌い上げるボサノバ風パートも組み込まれるのだが、コロコロと調子がかわってプログレのようで、RYOちゃんの遊び心満載である。聞くところによると、大倉くんパートの歌詞は煙草の注意表示をオマージュしているらしいから感涙に咽び泣く。どこまでオシャレ人間なのだ、錦戸亮・・・・。マスター、ジンをロックで……………….。

 

 

 

 

 

 

物凄く関係ない話をするのだが、私も超ド級のクソ田舎から大阪に飛び出してきた身なので、Tokyoholicをきくと結構グッとくるものがある。東京とは、都会のメタファーでもある。絶望しかない状態で都会を志す者は居ない。そして、何も失わないで都会に降り立つ者もいない。何かしらの期待と憧れを心に抱きながら、何かしらの犠牲をともなって、ふるさとをあとにする。
それぞれ都会に抱く理想のイメージがあるなかで、向かった先の都会を、期待以上の地にするか、期待外れな地にするは本人次第なのだ。しょうもない世界でしょうもないやつらにヘラヘラしながら、あるいはメンチを切りながら、それでも日々を戦う意味なんて、同じ場所で同じように戦う友がいて、ときどき泣いたりして唄を歌ったりして温もりを寄せ合う、それだけでええやんか、と言われているような気もした。それだけで十分魅力的な場所だと。
とにかくこれは、紛れもない応援ソングだ、ということが言いたかった。
RYOちゃんによるRYOちゃんの決意の曲であると同時に、RYOちゃんのための応援ソングだ。そしてそれを聞く私たちも、背中を蹴り上げられるような、そんな曲だ。

 



東京へ依存する。何もかも東京にまみれて、東京に染まっていく。
でも、東京に行くときにポケットにつっこんだ、涙と埃が混じってくしゃくしゃのどろどろになったあの頃の夢だけはずっと染まらないまま。いつかポケットから出して、大嫌いな東京の空に飛ばしてやる。今に見てろ東京。Tokyoholicはそんな、限りなく前を向いた、泥と埃と東京の排気ガスで薄汚れた希望の歌に聞こえて仕方がないのだ。

 


どうしてRYOちゃんは、そんな曲をこのタイミングで私たちに聞かせてくれたのか、それを勘繰るのはなんだか無粋な気がしてならない。冬のライブで聞いた、めっちゃ半端ないサイコーの曲。東京disってたけど、でもやっぱまだまだ東京で頑張るって。こんなもんじゃないって。そんな感じで良いのだと思う。伝えたいことは全て曲に集約するのがRYOちゃんだ。あとづけをダラダラするのはモテない男のやることだ。だから私は、Tokyoholicを、あのライブで感じたまま受け入れる。最高の時間だった。関ジャニsエイターテインメントの主役だった。勝ってほしいのではない、負けないでほしいと思った。私も負けたくないと思った。ここはまだまだ始まりとRYOちゃんががむしゃらに叫んでいた。それを聞いて少しだけ泣いた。一緒に生きたいと思った。一緒に頑張りたいと思った。たぶんそれで良いのだと思う。

 

 

 

最後は、タンバリンを投げ捨てるような音で終わる。まるで夢に向かってさっさとその場をあとにしてしまったかのように。曲の処理までオシャレだ。最初から最後までオシャレでしかなかった。もうオシャレとしか書いた記憶がない。そして、こんなオシャレな曲を聞く自分も、なんだかオシャレに思えてくる。たぶん、今日から、日常が、代わり映えしない自分の街が、そんな街でただ生きていく自分が、ほんの少しオシャレに見える。東京で、カッコ悪さ泥臭さまでオシャレに楽しんで生きている彼らのように。

 

 

 


今日は私の大切な人の誕生日だ。東京で日々戦っている姿を毎日テレビを通して届けてくれる。東京は仕事をするところだと語った彼は、私の大好きな元気一杯の笑顔の裏に何を隠しているのか、語らない、察させない。眠らない街明かりをみて、涙を溢すこともあっただろうか。それとも、そんな時期はとっくに忘れたと笑い飛ばすだろうか。 天の邪鬼でひねくれもので、それでもライブの最後の「お互い一緒に頑張ろう」という言葉はいつだって私を奮い立たせてくれる。仕事のときの、ヴォルデモートをも倒せそうな豪快な笑顔。ときたま見せるはにかんだような柔らかい笑顔。どちらも私の幸せの源だ。「僕にとってのアイドルというお仕事は、侍にとっての刀」。あなたに出会えてよかった。これからもずっと応援しています。一緒に頑張らせてね。 


村上くん誕生日おめでとう。大好き。

1月17日 元気が出るLIVE!!オーラス

自分用メモ。今の感情を拙い言葉のまま記録したいと思います。

 

 



1月17日、元気が出るLIVEオーラス。私は何をみたのか、まだ分かっていません。大倉くんのいない6人だけで作り上げたオーラス。そこにあったのは、大人の、取り繕わないかっこつけない、情けなくてみっともなくて、それでも美しい必死な姿でした。

 

 


元気が出るLIVEは絶対にオーラスまで見届けようと思っていました。アルバムが好きでした。関ジャニ∞のパブリックイメージそのままを突き進む、関ジャニ∞らしい、元気をくれるアルバムが大好きでした。そしてそれをそのまま表したライブも、自然と大好きになりました。一杯入ろうと決めました。元気が出るLIVEを、このライブをやろうと決めた関ジャニ∞をたくさん見たい、そして、大阪オーラスで、やりきった姿を見届けたいと思いました。

 

 

 


オーラスに、大倉くんはいませんでした。

 

黒い服を着た、一人足りない関ジャニ∞が出てきて、私たちに聞きました。6人で、ライブをやっていいですか、と。僕たちの心は固まった。あとはファンの皆さんに決めてほしい、と。


どこからともなく拍手が聞こえてきました。それは段々と盛大な拍手になっていきました。大きな大きな拍手でした。

私は手を叩くことが出来ずに、ただ呆然と、6人と、4万5千人を見つめていました。
大倉くんがいないのに?
この言葉以外、見つかりませんでした。だって大倉くんがいない。大倉くんがいないんだよ。私は、大倉くんがいないとライブが出来ない、と危惧していたわけではなく、大倉くんがいないままライブをやる関ジャニ∞を見たくなかったのだと思います。「今日は中止して、大倉が回復したら振替公演をやります。」って、言ってほしい。そう感じたのは、はっきり覚えています。他の観客の都合とか、チケットとかお金とか全く一切考えていなかった、ただ7人でオーラスを迎えてほしい、それだけでした。

 

 

 



大倉くんがいないままライブをすることが決まりました。6人が捌けていって、会場がザワつくなかで、おいてけぼりのような感情を抱きました。何も言えないまま、ぽつんと、突っ立っていました。受け入れることができなかった。6人の決めた結論を、私は受け止められなかった。涙が溢れだしました。なんの涙なのかは分かりませんでした。ただ、全く止まらなくなって、顔を両手で覆いました。どうすればいいか分からなくなっていました。


荷物を持って帰る人たちが見えました。今でもその人たちを否定しようとは全く思えません。大好きな人がライブにいなくて、しかも急病で、そんななか楽しむなんてできない、という気持ちは、否定することは出来ません。

 

 


一人足りない中継の円陣。村上くんが混ぜてくれました。そして出てきたキングオブ男。大倉くんのスペースの空いた、大好きな人たちの背中。ペンライトは振れなかった。夢にまでみたオーラス、全力で7人を迎えてあげよう、おかえりって言ってあげようと思って、大阪初日に新調したタンバリンペンラは、大きくてゴツくて愛しいはずの、それでも6つしかない背中には、振れませんでした。


へそまがりで大倉くんのハモりのないパートを歌う亮ちゃんは、笑っていました。がむしゃらでセンステにいないまるちゃんは今までで一番、がむしゃらに煽っていました。「そんなもんか!」と、叫んでいました。
からっぽのドラムセットは、あまりにも切なかったです。たぶん、からっぽのドラムセットを見たときが、一番ひどい感情でした。ショックな光景でした。後ろで自分の場所を守る三人の並びが好きでした。みんなが大倉くんを軸にしている、頼りにしていると分かる瞬間が好きでした。バンドはバラバラだと感じました。いつ止まるか分からない、脆くて危なっかしいバンドでした。寂しかった。大倉くんがいなくて寂しかったです。こんなもんじゃないって悔しかったです。悔しくてかなしくて寂しくて、いたたまれなかったです。

それでも6人は、最後までやりきりました。ヘブンリが終わったとき、みんなの顔から緊張の色がスッとなくなりました。もちろん完全にではありません。けれど、確かに安堵の表情が見えました。みんな大倉くんのいないバンドは怖かったんだな、そう感じました。

 


そこからはあまり覚えていません。いつからか楽しくなりました。大倉くんがいないことは相変わらず寂しかったのですが、それを逆手にとって、みんながみんな、それぞれの遣り方で笑わせてくれました。元気付けてくれました。大倉くんのうちわ(満面の笑み)をもってはしゃぎまくるすばるくんまるちゃん安田くん錦戸くん。MCでこれでもかというくらいにネタにする村上くん。それに爆笑するみんな。横山くんは静かに見守っていました。マイストアで、振りを微塵も覚えていないくせにステージに出てきて場を散らかすすばるくん。

そう、すばるくんは、今思うと、本当によく笑ってよく動いていました。
強いなー、とそのときは思ったんです。臨機応変、急病まで笑いに変える関ジャニ∞は強いな、と。
でも、違ったんです。
違いました。
侍唄前の、すばるくんのMC。この調子で、大変なことあったけど、これからもよろしく、という旨の言葉を力強く伝えてくれるのだと思いました。でも、すばるくんは、「辛い思いをした人もおると思うけど」と言ったまま、泣いてしまいました。プツンと糸が切れたように、上を向いて、しばらく黙ったまま滝のように涙を溢しました。しんと静まり返った会場に、34歳の、大人の男の泣き声だけが響いていました。
「ごめんなさいね。」すばるくんは泣きながら、必死に涙を拭きながら言いました。泣いてしまってごめんなさい。こんな姿を晒してしまってごめんなさい。オーラスに6人でごめんなさい。
大倉に会わせることができなくて、ごめんなさい。

 


もうすばるくんの挨拶は、あとは聞いているようで聞いていなかったようなものです。

ごめんなさいって、そう思いながら、ずっと、この二時間半、あんなにニコニコしながら、からっぽのドラムセットの前で歌いながら、大倉くんのうちわを振りながら、微塵も分からないダンスをしながら、ずっとそう思っていたのかもしれない、そう考えると、胸が苦しくて、痛くて痛くて、いとしくて、涙が出ました。

 


すごいものをみたような気がしました。本当にすごかった。6人でやり遂げた。未完成だったけど、それでもやった。大倉くんのいない穴を埋めようとはせず、代わりをしようとはせず、やっぱり大倉が必要なのだと、困ったような笑顔で訴えながら、彼らにしかできない方法で、彼らにしか考え付かない、関ジャニ∞らしい方法で、その場にいるファンに、元気と笑顔をくれた。ただただがむしゃらに、元気を届けてくれた。葬式のような会場が、終わる頃には笑顔で溢れていました。こんなに笑顔が絶えない公演になるなんて、黒い服の6人が事情を説明したときに、誰が考え付いたかな。惜しげもなく笑顔と涙をさらして、クールなかっこつけの欠片もなく、ひたすら二時間半元気を振りまいた、あれが元気が出るLIVEじゃなくてなんだというのか。奇跡をみたような気がしました。

 

 


でも、私はやっぱり、7人揃ったオーラスが見たかったよ。どれだけすごい公演でも、一生に一回しかない経験でも、それでも、大好きだった元気が出るLIVEのオーラスを7人で迎えてほしかった。最後の勝手に仕上がれで完全燃焼したかった。燃え付き症候群で放心状態で侍唄を聴きたかった。Wアンコもウキウキしたかった。
7人揃ったオーラスの勝手に仕上がれは、どんなに熱いものでしたか。7人で14回目の勝手に仕上がれを終えたとき、すばるくんはどんな顔をして何を伝えてくれましたか。どんな夢や、希望や、願いや、不満や、未来を、語ってくれましたか。関ジャニ∞は、元気が出るLIVEを、どうやって締め括ってくれましたか。それが聞けなかったのは、やっぱり悔しいです。悔しくて悔しくて、やりきれません。
それが、感想です。私は、悔しいに楽しかったは勝らなかった。悔しい。

 

 

 



でも、ちゃんと楽しかったです。6人がくれた笑顔と勇気は、ちゃんと届きました。ちゃんと笑えたよ。ペンラも、いつのまにか振り回してたよ。ありがとう。

すばるくん、すばるくんのあの笑顔、大倉くんのうちわを持ってステージや花道で手を振って走り回っていた姿、震えつつも力強かった歌、マイストアやKINGでの幸せをくれたとんちんかんなダンス、涙、慟哭。忘れません。関ジャニ∞というグループを、関ジャニ∞のファンを必死に守ろうとしてくれたすばるくん。自分だって大倉くんがいなくて怖くて不安で、だけど、そんなの全部後回しで、何よりも、ファンのことを気遣って、守ろうとしてくれた優しい優しいすばるくん。すばるくんは、アイドルだなあと、はじめて思いました。アイドルです!と訴える姿の何倍も、大倉くんのうちわを持つあの姿にアイドルを感じました。命を懸けている姿をみました。すばるくん。ありがとう。

一歩引いて冷静に見守ってくれた横山くん。ずっとずっと笑顔を絶やさず、あったかい安心をくれたまるちゃん。めちゃくちゃだったバンドを、それでも堂々としたギターで引っ張ってくれた、地に足をつけていつもとかわらないパフォーマンスをしてくれた安田くん。代わりのいない大倉くんのパートを担当してくれた、一番最初に替え歌をして会場の雰囲気を変えてくれた、大倉くんのファンに拍手をさせてくれた錦戸くん。ありがとう。


村上くん、村上くん。大好きな村上くん。村上くんが、一番最初に喋ってくれました。みんなと変わらず怖かったはずなのに、落ち着いた、しっかりした声で、事実を伝えてくれました。侍唄の最後を、一人で弾いてくれました。大倉くんのように、よこちゃんとアイコンタクトをして、ウィンドチャイムを促してくれました。楽しめ、もっと、楽しめ!って何回も言ってくれました。「最終日に揃わないとこ、関ジャニ∞っぽいでしょ」、って笑ってる村上くんを見て、笑っていいのかなって思えました。大倉くんもファンも傷付かない絶妙なラインで、笑いに変えてくれました。"今日、この場に入ることのできなかった大切なエイター"に拍手した村上くん。今日のことがあって、色んな思いをする人たちがいることも、ちゃんと分かってるんだなって思いました。強くて優しい村上くん。ありがとう。村上くんありがとうね。

 


大倉くん。大倉くんがいなくて、寂しかったしかなしかったから、早く元気になって、大倉くんは悪くないんだから、誰も悪くないんだから、謝らなくていいから、戻ってきて、いっぱいおいしいもの食べてください。
大倉くんのことを思ってこんなに泣いたのははじめてです。村上くん以外を思って泣いたの自体はじめてです。私は私が思ってた以上に、関ジャニ∞7人、みんなが好きでした。

倉子ちゃん。大好きでした。かわいくて可憐で凛としていて、踊る倉子ちゃんは綺麗で、毎公演楽しませてくれる、一番のエンターテイナーだったね。倉子ちゃんにありがとうを言いたかったです。倉子ちゃんが大好きだったから。憎まれ役のままいなくなった倉子ちゃん。倉子ちゃんがいなくて、みんな、寂しそうでした。思えば、あの公演で、倉子ちゃんが、大倉くんがいないとダメだとはっきり弱音を言ったのは、あれが最初で最後でした。倉子ちゃんありがとう。またいつか会いたいです。倉子ちゃんバイバイ。

 

 


7人のオーラスがみたかったけど、悔しくて、寂しくて、自分でもびっくりするくらい泣いて、泣きじゃくって、笑って、泣いて、笑って、関ジャニ∞が大好きになりました。
でも、やっぱり7人のオーラスが見たかったから、次はちゃんと7人で大阪に帰ってきて、7人でライブ納めをしてください。大倉くんの方を向いて、7人で最後の音を決めてください。
よろしくね。