すばるのこと


まず今回の脱退に関して、すばるは責任を放棄したと、私は思う。

関ジャニ∞という仕事に対する責任だ。
すばるは20代前半で関ジャニ∞という職業を選択して、その選択に責任を取る時期に差し掛かっていたと思っている。夢を追いかけるのが人生ならば、選択してきた道に責任を取るのも人生だと私は思う。無邪気に夢を追いかける時期も確かにあっていいけれど、すばるの置かれていた状況は、そんな時期をとうに過ぎていたのではないか。アイドルグループとは奇妙なもので、メンバー同士、お互いの人生の手綱を握り合っている。普通の会社の同僚のように、同僚であっても他人は他人、人生には関わらないというわけにはいかないのだ。すばるはそれを分かっていたはずだ。14年も猶予があって、なぜ今だったのか。すばるが漕いでいた船は、すばるの他に6人の人生が乗っかっている船でもあった。船が出て14年、陸を遠く離れた大海原のど真ん中で、すばるはオールを放棄して、船を転覆の危機に晒した。
すばるは関ジャニ∞の音楽活動の道を先導して切り拓いてきた。これも“責任”を取らなければならなかった理由の一つであると思う。すばるは歌で世間に存在を示し、そのたびに関ジャニ∞であるとアピールしてきた。そんなことを続けていれば、自然と世間は関ジャニ∞の音楽=渋谷すばるを筆頭としたバンドというイメージを持つだろう。
誰にも頼まれず自発的にそんな活動をしておいて、今更抜けるは正直ナシだろうと思った。自分の精力的な活動で関ジャニ∞にすばるの歌のイメージが定着したこの段階でグループから抜けるのは、あまりにも無責任な行動である、と感じた。


「夢のために」置いていかれる6人を、あの時私は心底不憫に思わざるをえなかった。置いていかれる、不憫という表現が適切でないことは分かっているが、まあ実際そう感じたのだからあえてこう言う。
だって、リョーちゃんはTokyoholicという曲で、アイドルという色んな制限がかかった形の中で、最大限に伝えたいものを伝える努力をした。楽器なんて触ったことがない、音楽と無縁の生活を送ってきて、血の滲む努力をしてやっとの事で習得したメンバーだっている。すばるが先導して提示した道を好ましく思わなかったこともあったかもしれない、グループの方針としてバンド以外にやりたいことは他にもあったかもしれないのに、すばるの歌を活かすために、バンドスタイルを確立した。みんな、必死だった。
それをすばるが、限りなくゼロに近くした。
会見で俺らと夢は見れへんのかなあ、と泣いていた横山くんが忘れられない。横山くんは、コメントに「すばるが色んな景色を見せてくれた」と書いた。この期に及んで、海のど真ん中でオールを捨てるすばるに感謝していた横山くん。横山くんが必死に音楽に喰らい付こうと始めたトランペット。あなたがすばるに見せてもらったと思っている景色は、あなたの努力がなかったら絶対に見ることのなかった景色だった。横山くんが、今後どんな気持ちで音楽に関わるのか考えるとたまらなかった。
腫れた目で震える声で、門出、と言葉だけは立派に言ったリョーちゃん。虚勢を張るのが好きだと言っていたが、「門出」とは本心か、それともあれも虚勢だったのだろうか。

「残された」6人じゃないことは分かっていても、どうしても被害者意識が芽生えてしまう。すばるが辞めると言わなければ、ここまで追い詰められることはなかっただろうから。


夢のためとすばるは言った。

でも、みんな、関ジャニ∞のために数えきれない夢を犠牲にしているだろう。
仕事とは、人生とはそういうものなのではないのか。アイドルになるって、グループとして活動するってそういうことなんじゃないのか。

まあ、私がいくらすばるに文句を言ったって、もう彼は関ジャニ∞からいなくなってしまったから、何も意味がない。
私はずるい。そして無力だ。何も言わずに去ったすばるに対し、こうやって文句を投げかけるしかできない。




4月、私は丁度就職活動をしていた。自分の人生について考えた時期だった。夢についても考えた。すばるの選択についても沢山考えた。
散々悪くは言ったが、規模は比べ物にならないけどすばると同じように人生の瀬戸際に立った身で、すばるの選択が絶対に間違っているなんて到底思えなかった。
夢なんて、しょうがない。夢を見ずにいることは出来ない。人間は夢を見る生き物だ。そして、夢を見るには犠牲が伴うこと、ある程度賭けが必要なことも、就活を通して少しだけ思い知った。

LIFEでリョーちゃんが泣いたことは、わりとショックだったし、救われた。強くて頼もしかったリョーちゃんが、寂しいと感情を露わにしたことで、私の、それこそ「虚勢」が音を立てて崩れた。
私だってすばるがいなくなることが寂しかった。いなくなってほしいわけなかった。7人の楽しそうな表情や笑い声は脳裏に焼き付いている。すばるを否定して、6人に想いを馳せたのは、村上くんやリョーちゃん、「残された」6人側に立った私のしょうもない意地だったのかなと思う。リョーちゃんの涙でそう気付けた。


すばるの言葉は全て本物だったと思う。アイドルになろうとしていたのも、夢のための脱退も全て本心なのだろう。
アイドルになりたかったからアイドルですと言ったし、アイドルの外に夢を見たから脱退を決心して、間もなく告げた。それだけのことなのだろう。
すばるは取り繕おうとしなかった。大倉くんが言った、すばるの「自分の人生を優先させてもらう。」という言葉で、そんなん言われたらもう何も言われへんやんか、と言う気持ちになった。すばるは自分の夢、自分の人生に対してまっすぐなだけだった。それを申し訳ないし迷惑をかけるとは思っているけど、恥だとは思っていないし、実際なんの恥でもない。だから、私がすばるに対して持っている文句は、責任を取らなかったこと、その一点のみだ。
疑問もなにもない。怒りしかない。その怒りも、寂しさに目を背けた結果なのは自分でも分かっている。
まあでもよく考えたら責任感だけでアイドルグループに属するのはタレントにとってもオタクにとっても酷な話で、アイドルにはグループに夢を持ってほしくて、その夢がグループの外に向いたと同時に脱退したすばるの選択は、私の道理と何も矛盾しないのかもしれない。
すばるの真摯な目が、嘘をつけない性格なのを物語っていた。村上くんが、目を見たら分かる、と言ってたけど、一介のオタクである私でも一瞬で分かる、据わった目だった。あ、もう何も残してないな、と分かった。未練も夢も、関ジャニ∞という場所にはもう何も残していない、前だけ見ている目だった。





でも、勝手な決断をしたすばるのことを、嫌いになんてなれなかった。大倉くんの言葉がピッタリ当てはまる。その言葉以外にない。

すばるには、まあ当たり前だけど色んな思い出がある。
私の初めてのコンサートはJUKEBOXだった。ムビステで迫ってくるバンドの真ん中で、真っ赤な衣装を着て燃えたぎるオーラを纏ったすばるの、吼えるような歌声の迫力を私は一生忘れないだろう。虎のような誰も寄せ付けない眼をしていた。
2015年の2月。大阪で、大学受験の二次試験が終わって、地元へ飛行機で帰るまでの時間で、大学近くの映画館に立ち寄り味園ユニバースを見た。すばるのソロ活動に否定的だった私は、それでもやっぱりこの人の歌が好きだと、エンドロールで泣いた。その大学に受かって、未だにその映画館で映画を見るたび味園ユニバースのことを思い出す。私の大学生活は、あの映画から始まった。
元気が出るライブのオーラスで、大倉くんのファンに必死にファンサしたり、ブカブカの衣装でトンチンカンにmystoreを踊ったり、MCで声を震わせオタクに謝るすばるを見て、心底格好良いと思った。あんなにたくさんの人を泣きながら救ったすばるは、やっぱりまごうことなきアイドルだと思ったし、アイドルとは、こんなに格好良いものなのだと知った。
いつかのイフオア千秋楽で、村上くんが本来は舞台中に一曲披露のところを、三曲も披露してくれたことがあった。村上くんは、そのサプライズに泣くオタクに、「すばるが歌を愛しているから、俺もこうやって届けていきたい」と笑った。
ひなすばの渇いた花の演奏や、エイタメのアコースティックコーナーは、音楽とはなんたるかを私に教えてくれた。そこには、幸せの形としての音楽があった。信頼できる仲間とともに奏でる音楽は、言葉以外のコミュニケーションであり、感情の共有である。これ以上の幸せを知らない、7人みんなそんな顔をしていて、その顔を見て、私も幸せになった。




すばるの光線のようなまっすぐ突き抜ける声が好きだった。好き嫌い分かれる、くどくて攻撃的なビブラートが好きだった。歌詞を丁寧に伝えるはっきりとした発音も、ヒロトを意識しすぎと言われた歌い方も、意外とめっちゃうまいラップも、全部全部全部好きだった。
実は、トゲトゲに尖っていた頃の、誰も寄せ付けないすばるの歌声が一番好きだった。こんなの、すばるが抜けた今だから言える。当時はずっと怖かった。すばるがどこかに行ってしまうのが。いつその選択をしてもいいような孤高の歌だった。だからこそ最近は安心して、油断した。
すばるの歌は関ジャニ∞には必要不可欠だったと思う。関ジャニ∞がバンドとして名を轟かせるには、やっぱり、どう考えても彼の歌が必要だった。すばるの歌声に誇りと自信を持ったメンバーが好きだった。彼の歌を活かすためなら楽器の練習を惜しまない、すばるのために尽くすバンドが好きだった。全く声の系統が似ていないリョーちゃんとのツインボーカルコントラストが好きだった。アイドルのバンドにはなかなかない、ただの7分の1じゃないすばるの歌が好きだった。だから悔しい。悔しいから、これは負け惜しみなのかもしれない。すばるのいるバンドとしての関ジャニ∞を見れなかった負け惜しみだ。

歌だけじゃなくて、渋谷すばるという人も好きだった。意外と常識人なところとか、気遣い屋なところとか。コメントのキレも、テレビでボケになるギリギリの下ネタをチョイスできる頭の回転の早さも。義理人情に熱いところも、少し老け出した顔の皺も。メンバーが大好きなところも、関ジャニ∞が大好きなところも。

星の名前を持って、真ん中が似合って、赤が似合って、小さい体でまあるい目をして、アイドルには向いてないバカ正直な性格と、アイドルらしい整った顔立ち。


ああ、好きだったなあ。好きだった。色々言ってごめん。本当は、渋谷すばるが大好きだった。




すばるのいた関ジャニ∞は、私が人生で一番愛したバンドだ。7人のバンドはすばるの脱退により永遠になった。メトロックに出て、ジャムというライブを残し、LIFEを経て、永遠になった。衰退も進化もせず、時を止めた。伝説になった。
7人が残した音楽はこれからも私を救うだろう。
7人を愛して6人を愛することは相反することではないと思う。



すばるは最後まで涙も流さず、夢も語らず、ただただ関ジャニ∞を託して行ってしまった。本音を聞けたのは、会見のあの一回のみだった。会見に全てが詰め込まれていた。
一番ずるいのはすばるだ。嫌われ者を選んだ彼を、結局嫌いになんてなれなかった。そんなの分かっていたくせに。


最後まですばるらしい人だった。誰にも左右されない頑固でまっすぐなすばるが歌う歌を好きになったけど、そんなすばるらしい選択まで愛することはできなかった。すばるの選択のせいで叶わなかった夢が沢山ある。
沢山の才能に愛された彼が全てを捨てて選んだのは、やっぱりと言うべきか、「歌」だった。でも私はきっと心の端っこで、彼がその選択をすることを、ずっと恐れていたし、分かっていた。
分かっていたのに、ずっとその恐怖を忘れさせてくれていたすばるは凄い。ひとえに、すばるがアイドルを楽しむ姿を見せてくれていたからだ。

関ジャニ∞というアイドルグループに、渋谷すばるというメンバーがいたことを、忘れる日が来るとは思えない。良い意味でも、悪い意味でも。
メンバーを、永遠になりそうだった幸せを、7人の音楽を、捨てたすばるをまだ許せない。でもすばるは、私はおろか誰かに許されるために、認められるために生きているのではない。自分で納得する人生を送るために生きる。そんな堂々とした、一点の曇りもない目をしていたから、嫌いになれなかったのだ。


さよならすばる。
沢山の思い出と音楽と幸せをありがとう。

関ジャニ∞として過ごした日々が、あなたの誇りであり、道を照らす明かりになることを願っている。

私はあなたに託されなくても、6人とあなたの過去と未来を愛していくよ。



どうかお元気で。
またいつか、あなたの歌が聴きたい。