それでも音楽を信じたミュージシャンの手記 「Note」感想

 錦戸亮の2ndアルバム、『Note』。聴いてください。言いたいことはこれです。とりあえず聴いて!一回!一回だけでいいから!
 少しでも錦戸亮を知る人、そして音楽好きならば必ず聞いてほしい一作です。
 世間的には恐らく俳優の面しかよく知られていない彼ですが、実は物凄い才能を持っていることをこのアルバムが証明しています。作詞作曲プロデュースのすべてをこなした今作(もちろん前作も!)。聴いてて飽きさせない。アルバムということを活かし、全12曲(通常版は13曲)が意味のある構成となっています。多岐に渡るジャンルを使いこなし、すべてが主役のように輝きながら練られた曲順でメリハリがあり、大胆なのに繊細。これが独立して二作目なのは本当に恐ろしいです。とにかく聴いてほしい。
 こんな状況でアルバムを出す事実自体が彼の音楽に対する挑戦と真摯さを思わせますが、説教や啓発めいた言葉はなく、錦戸亮らしく、ナチュラルで自然体、強くて優しいエッセンスが全てに入っています。
 サウンド自体はシンプルで電子音の打ち込みみたいなものは少ないですが、だからこその迫力と、生音へのリスペクトもあります。
 錦戸亮のファンではありますが、音楽好きでもあるので贔屓目は入っているけど入っていません。本当に素晴らしいアルバムです。
 今の情勢を思わせるような曲はあえて少なく、いつも通りの日常や何気ない瞬間にフォーカスをあてて大切なシーンとして切り取られたさまざまなジャンルの曲たちが、Noteというキーワード、香水の移り香にならってたくさんの表情を魅せてくれます。
 なんでもない些細な感情が切なく美しい歌詞に起こされて、煌めいたサウンドに包まれます。このアルバムがあることで、陰鬱な日常がちょっぴり彩られていく。
 音楽の可能性、この世界に音楽があることの理由。音楽が好きという気持ち。コロナ禍のなか、エンタメが難しくなり、「不要不急」なんて言葉に聞き慣れてしまったような乾燥した世界で、それでも音楽の価値を精力的に届けてくれる、頼もしいミュージシャン・錦戸亮が作り上げてきた渾身の作品となっています。
 すべての音楽好きな人に届いてほしい。音楽ってやっぱり良いなって改めて感じさせる、楽しくてたまらないアルバムです。
 と、どっかのレビューみたいなことを書いてみますが、もう、聴かない理由を並べ立てている間に聴こう!
 そこのあなた!このブログを読んでいる暇があったら聴こう!CDまで買えとは言いません。いや・・・買ってほしい・・・のは置いといてとりあえずサブスク入れてください。ワンタッチ!LINE返すより楽です。
 私はLINEの未読を鬼のように溜めつつ、代わりにリョ~ちゃんのアルバム、何周かしました。
リョーちゃん、私嬉しい。こんなアルバム出してくれるのがうれしくてうれしくてたまりません。
 何度もツイートしているようにリョーちゃんの好きな音楽を詰め込んだアルバムという感じで、変に大衆向けを狙っていない自由な作風で、こんなアルバムをリョーちゃんが出してくれる未来が待っているなら、あのどんより曇った日々を耐え抜いた(全く耐え抜けていなかったが)意味があるなと十分に思えるようなアルバムでした。
 リョーちゃんがいろいろあって、何回かブログを書こうとしたけど何よりリョーちゃんからの供給過多にうれしい悲鳴を上げ続けるばかりで、今度こそ、今度こそと思いながら毎回タイミングを逃していました。こういうのは先延ばしにするとなんもいいことないからな。勢い!勢い!何事も勢いが必要です。覇ッ(←変換がキモかったからそのまま残します)
 というわけで、書きます。今日が水曜日だけど、日曜日までには絶対に書き終えます。アルバム感想という名の恐らくこの数年の振り返りになるのですが、いかんせんこのアルバムはリョーちゃんのことを知らない人や、リョーちゃんから離れてしまった音楽好きな人にも聞いていただきたいので、自分語りは少々抑え目を目安にします。
 でもやっぱりファンとしての感情も自分のためにつづりたいので、とにかく音楽自体に興味を持っている、でもオタクのポエムはうざい、という方は視聴の部分までのちょっとした解説だけでも読んでみてください。
 

〇アルバム「Note」感想

1.総論

 
 私は錦戸亮の作る音楽が大好きです。グループ時代は屋台骨のように頼り甲斐がある音楽面のブレイン、エースでソングメーカーだったのですが、どれもこれも一筋縄にはいかない渋さがあるオシャレな楽曲で、そんなセンスを私はずっと信じていました。
 なんやかんやあって独立したリョーちゃん、音楽制作の意欲があることを知った私は何の心配もしてなかったのですが、独立からわずか2か月ほどで発売された前回の1stアルバム、実は結構物足りなさを感じていました。もちろん独立して一発目という意味でものすごく価値のあるアルバムだし、あのクオリティをものの2,3か月で仕上げてくるのはさすがリョーちゃんとしか言いようがなかったです。サラリーマンの日常と、言葉にするでもない平凡な落胆と平凡な奮起を「辛くないといえばウソ」「頑張れるよこれはほんと」という絶妙な歌詞に起こしてくれた「狛犬*1など、やっぱり名曲はちゃんとありました。(聴いてみて!)

 それでも粗削りで少々乱暴な構成、実力はこんなもんじゃねえだろっていう気持ちがなかったといえばウソ。ミュージシャン錦戸亮の作品として評価されると思うともう少しインパクトがほしかった。
 でもね、あのスピード業は早くオタクの前に顔出すためだったんですよね。ありがとね。
 今回は時間もあるし、リョーちゃんがわりと音楽に向き合える環境で作られたアルバムということで本当に楽しみでした。続々と解禁される曲がすべて良いのも期待値を上げていて、蓋を開けて微妙だったらどうしようという不安にも無駄に駆られましたが、結果めちゃくちゃ無駄に終わりました。
 すごい!すごいよ。みんな。とりあえず聴いてください。聴いてからこれ読んでください。
 これが私の信じたリョーニシキドです。おかえり!というのは少し変ですが、これですこれこれ、この滾る血潮と興奮!
 このめんどくさがりの私がアルバム全曲レビューするなんて前代未聞なんですよ。それだけ良いアルバムでした。
 そんな感じで一曲ずつ各論に入ります。
 
 

2.各論

(1)Topnote

 はい出た、RYONISHIKIDOといえば!なロックインスト。世間の皆さん、あのRYONISHIKIDOはインストが作れちゃうんですよ。最初にドラム、次にエレキ、ベースと音が重なっていくみんなが好きなやつ、まあ特別なことはしてないんだけど、この"みんなが好きなやつ"がちゃんと一発目に持ってこられてるあたり勝ち確です。
 一作目でも一曲目はインスト。そこは奇をてらわず王道を歩み、これ好きやろ?と言わんばかりに持ってこられた正解、好きです....とひれ伏すことしかできません。
 鋭いスネアの音と燃え滾るようなエレキ、心臓が引っ張られるベースがねりねりと一音ずつ移動していけばつられて緊張感と血圧が爆上がり、あっという間にNoteを聞く準備が整います。

Top note

Top note

  • 錦戸 亮
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  • ¥255

  

(2)Tokyoholic

 テクニシャンRYONISHIKIDOは前曲TopnoteをTokyoholicと同じEmのキーで作っているので、Topnoteからの流れは抜群のよどみなさ。
 インストでテンションがぶちあがったところで間髪入れず始まるのがこちらのTokyoholicです。知る人ぞ知るRYONISHIKIDOのグループ時代からの代表曲。東京への憧れと憎しみを軽快なカッティングに乗せてぶちまけていく痛快オシャロックです。Tokyo!のコールはライブでぶちあがる用のプレゼント。韻を踏んでいる歌詞はコテコテ関西弁なのに最高にCOOOOOLに聞こえちゃうのがリョーニシキドの手腕。セクシーでしゃがれた歌声はもちろん、途中で入る3拍子、そしてボサノバなどのジャンルも渡り歩くので、3分ちょっとしかないのにこの曲だけで錦戸亮の才能一覧という感じで自己紹介ができちゃいます。ようこそRYONISHIKIDOの世界へ。とりあえず必聴!

Tokyoholic

Tokyoholic

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 巷ではリョーちゃんがTokyoholicを歌った!と噂のようですが、実は1stライブから歌ってくれていました。許可取り済みのようですのでみなさんご安心ください。
 この曲についての想いはこちらを参照していただくとして、今回のポイントとしてはグループ時代から編曲を変えてきているところ。
  原曲の魅力はお洒落なのに、どこか泥臭さがぬぐえない、東京で必死にもがき続ける男たちのロックに聞こえる点であると思うのですが、今回のTokyoholicはRYONISHIKIDOのソロらしくよりスタイリッシュになっています。
 私は思うのですが、わざわざ前事務所にコンタクトをとって許可を取るまでしてこの曲を持ち帰り、再度編曲して演奏する労力って並大抵のものではなくないですか?
 それだけ大事にしたい、心を込めた曲をグループ時代に作っていたという事実の裏付けにもなる。何よりやっぱりうれしい。色んな思い出が詰まったこの曲が再びリョーちゃんの手で生き返るのは純粋にうれしいです。
 そして錦戸亮以外にこの曲を歌いこなせる人物は7人時代のグループ以外にいないと思います。あのときのTokyoholicも最高にかっこよかったと思ってるから、原曲をそのまま踏襲するのではなく編曲してくれたところ、優しいなあと思いました。

 私の一番好きな変更点はタンバリンをなくしているところです。
 グループ時代のTokyoholicでは当時のメインボーカルだった渋谷すばるの鳴らすタンバリンで幕を開け、ライブでもギターを抱えずにすばるはタンバリンと歌に徹します。曲中でも印象的な楽器です。
 もともと原曲は、サビをすばるとリョーちゃんのツインボーカルで構成しています。
 リョーちゃんが独立後のインタビューで唯一明確に言及したメンバーがこの渋谷すばるでした。「片割れ」と表現していたように、すばるとリョーちゃんはツインボーカルとしてグループ時代の曲をメインで担当していました。
 ビートルズの「ジョンとポール」、二人のことをそんな風に言葉にしたのもまぎれもないリョーちゃん自身で、すばるが去る際にそれまで気張っていた表情を崩して涙を流し、寂しいと呟いたのも彼でした。
 ずっと横で歌っていたすばるが鳴らしていたタンバリン、それを除くことにどのような意味が込められているかはわからないけど、リョーちゃんのすばるに対するあこがれはそのままに、ツインボーカルとしての「片割れ」から脱却するような意思が、私にはどうしても感じられました。
 
 最後、I can't hate you Tokyo!がエコーするところも、それでもやっぱり東京への執着を叫んでいるようで大好きです。


(3)キッチン

 私イチ推し、キッチンで料理をがんばる彼女を見守るスケベ男のラブソング。
 マイナー気味でクールめのイントロの効果でAメロからのラブリーな雰囲気がより引き立ちます。キュートで落ち着いた展開をしていくA、Bメロですが、やはりこの曲の真骨頂は歌詞の多いサビ。
 歌詞が多いんだけど、言葉が流れるように耳に入ってくる絶妙なメロディとエモいコード進行、明るくてキラキラしてて幸せでエッチな歌詞なのに、なぜか涙が出てくるようなまぶしいエモさをあわせもつサビは、思わず口ずさんでしまう爽快感があります。これが俗にいう甘エモロック、RYONISHIKIDOの得意技です。跳ねるように音が舞う、一度聞くと頭から離れない甘くてエモいメロディーがとにかくキャッチーなのでこちらも必聴。
 そして、この曲に限らずですが、RYONISHIKIDOのつくるベースラインはベースが好きな人がつくったとわかるベースラインです。なんというか、最低限の役割にとどまらず、主役の一人としてベースが華々しく存在しています。例にもれず、特にキッチンはベースが死ぬほどかっけえのでそこにも注目。
 ベースラインがしっかりしているので、動きのあるメロディーにバックサウンドが負けない、ただのラブソングで終わらないしっかりした格好いいロックに仕上がっています。
 とにかく何回でも聞きたい、車でかっ飛ばしながら流したい、陰鬱な月曜日の朝も背中を押してくれる一曲です。

キッチン

キッチン

  • 錦戸 亮
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 コロナ禍で行われたファンミ、一歩出ると陰鬱な空気が漂う世界から唯一隔絶されたアリーナの中で、ニコニコ穏やかな笑顔を浮かべるリョーちゃんと、多幸感に満ち溢れたこの曲を聴いて、私は泣きました。泣くはずではなかったんですけどね。


(4)ハイボール

 8分の6拍子、今カノの恋愛遍歴に思いを馳せながら奮闘するかっこつけてるけど少し情けないブルース。ピアノとエレキギターの掛け合いが心地よいです。
 エレガントなピアノのフレーズから唐突に「君が誰の元カノでも動じないでいられたら」とド直球男子な一節が飛び出すのがおもしろい。RYONISHIKIDOの甘い、色気のあるドロッとしたチョコレートのような声が大変よく合います。
 途中で入るハーモニカもまた少し頼りなさげな印象で、彼女の過去が気になるのに、強く出られない男子の翻弄されっぱなしな可愛げと郷愁が目に浮かぶように響きます。ライダースの似合うりょーちゃんらしい、男臭いブルースです。

ハイボール

ハイボール

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 サビでは「今が好き、これまでもこれからも」とそれでも力強く歌い上げるこの曲。Note感想でリョーちゃんとオタクの歌、という意見を送っていただきましたが、架空のラブソングではあるんだけど、リョーちゃんにこんなことを歌われてはオタクは気が気じゃない。いろいろあったけど、私もこれまでもこれからも今が一番だよ、と泣きながら返すしかないのです。
 リョーちゃんはこういう、フィクションの歌の中に曲の物語の続きなのか、あるいは自分自身の内情か、どちらにもとれるような渾身のフレーズを入れてくることがあります。これからどうなるか分からなかったあの状況で、これからもどうなっていくか分からない不安定な世界で、今が好き!と叫んでくれる大サビは力強い安堵をもたらしてくれます。りょーちゃんがそう言ってくれるのであれば何より。
 そこから続く歌詞は涙なしには聞けません。愛する人へ精いっぱいつづられる、不器用でまっすぐな愛の言葉。きっとこの物語の中の主人公のセリフなんだろうけど・・・。そんなあったかい曖昧さがオタクは幸せです。
 ハイボールと銘打つこの曲ですが、本人はハイボールが苦手だそう。でも麦焼酎だとなんか違うやん、だからといってマティーニはかっこつけてるやん、だからハイボール。らしいですが、メイキングで麦焼酎片手に~と歌い上げるシーンがあったけど、私はそっちも聞きたい。

 そしてリョーちゃん、ま~た新境地開拓してます。このどストレートなブルース調は今までりょーちゃんのレパートリーのなかになかったですよね?
 前作になかったのはこういう感覚なんだと思います。は~?こんなんも作れんの?みたいな感覚、これこれ! 
 ここまでアルバムの流れ自体も非常に良いです。Topnoteから一切勢いが衰えずにここまで来ます。ハードロックなインスト、おしゃロックで幕を開けて甘エモロックからのブルース。完璧!!!


(5)コノ世界二サヨウナラ

 ゆったりと厳かに流れるスローバラード、「君」がこの世界とさよならをする曲。ここでこうくるかRYONISHIKIDO、と思わず唸りたくなる方向転換。
AppleMusicのレビューにはアルバムを通して出会いと別れがテーマになっているとありますが、「別れ」を代表するのはこの曲。
 淡々としていて派手ではないのですが、重々しいサウンドと憂いを帯びた歌詞、そして錦戸亮の悲痛な歌声がマッチして凄まじい世界観を作り上げています。別れの曲だけあってマイナー調ですが、なんとなく希望や救済を思わせるようなたおやかさも魅力的。
 一番はスネアのロールと忠実に4拍子を刻むアコギのみで構成されています。その神聖な静寂は葬送曲を連想させ、孤独に丁寧に紡がれる歌詞と相まって、誰もいない森の片隅のような息を呑む静謐さがとにかく凄い。
 2番からはベースとエレキギターが入り、ドラムも通常の8ビートに変わります。りょーちゃんの歌い方も荒くなり、雰囲気がガラッと泥臭くなります。この曲は別れの曲であるにも関わらず「涙」とか「泣く」という言葉は出てきません。代わりに間奏で鳴り響くギターソロが涙の役割です。これぞ泣きのギター。ぐしゃぐしゃに泣くギターに心がかき乱されます。
 心にぽっかり穴が空いて空虚で、泣きたくて苦しい、それでも世界は回っていく、壮絶でどこか淡々とした、美しい別れの歌です。

コノ世界ニサヨウナラ

コノ世界ニサヨウナラ

  • 錦戸 亮
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 特にメロディ回しが秀逸であるように感じました。コードと歌詞を最大限に活かすメロディがひたすらに美しく流れます。
 初めて聞いたのは武道館ライブの時だったのですが、その時の照明も神々しいというか、いくつもの光の線がまっすぐ天まで伸びて国旗の周りを照らし、荘厳な雰囲気の中で歌われていました。
 アコギ一本で歌われたその当時は、りょーちゃんの周りからいなくなった人、またこの世から失われた人たちのことを思いました。
 歌詞は一応ラブソングの体を成しているのですが、恋人との別れとは到底思えない、避けられなかった今生の別れーー死を思わせる胸を引き裂く哀しさとがありました。
 一方、バンドが入った今回のアルバムアレンジは、アコギ一本の時とは全く違うような別物の雰囲気を帯びています。
どんよりした重いサウンドと締め付けるような歌詞は、美しさは変わらず、しかしソロの時のような死の安寧はなく、生きているからこその生々しい別れの苦悩が感じられます。
 私はこのバンド版で、個人的に本当に苦しかった2018年〜2019年を思わずにはいられませんでした。

いつかいなくなる事
分かってるけど分かってたけど
いつかいなくなる事
片隅にずっと置くべきなの
いつかいなくなる事
誰かが教えてくれることもなく
君から教わっていくんだろう 

 りょーちゃんの記事が出た3月から9月まで、生きた心地がしませんでした。
 でもあの記事が出た時点で、もっというとすばるの会見の時、泣き腫らしたような重たい瞼で門出だと言ったりょーちゃんを見た時から、きっと心のどこかで次はりょーちゃんだって分かってたこと、この歌詞を聴いて改めて気づきました。
 実際のりょーちゃんは2018年の夏を必死に駆け抜けて、強がりな言葉をブログに綴って、ライブでもよく喋って私の悲しみを蹴散らしてくれましたよ。泣くオタクたちを見て笑え!!と怒鳴ってくれたりょーちゃんの引っ張るグループを見て、もう大丈夫だと心から信じて、また夢を見るのもいいかもなと思ったのは大切にしなければならない事実です。
 2019年も、りょーちゃん自身は全くそんな素振り見せずに、バラエティもライブもいつも通りを貫いていました。どこかで分かっているのに、どこかで夢を見るような状態が長く続いて、不穏な記事やツイートが無責任な言葉を投げるなかでりょーちゃんはずっとりょーちゃんでした。
 りょーちゃんの言葉で脱退、退所と見て初めて実感が湧いて、ものすごく辛かったけど、生殺しのような日々から私とリョーちゃんが解放された安堵があったことも嘘ではなかったな、と思います。
 そうやって世界は回っていくんだろう、とあるように、何が起こっても世界は時間を刻みますよね。すばるがいなくなった時と同じように、私は絶望に暮れているのにやっぱり世の中は知らない顔で平気に回っていきました。ニュースを知った夜から泣き続けて友達と電話で語り明かして朝がきて、それでも朝は来るんだね、と、一年振り二回目の話をしました。
 それから1ヶ月、表舞台の人ではなくなったりょーちゃんに、今何してるかな、美味しいもの食べてるかな、友達と笑って穏やかに過ごしてほしいなあ、なんて想いを馳せました。オーラスの景色綺麗に思ってくれたかな、とか、たくさん曲を作ってくれたな、きっとまだ出してない曲の入ったPCや、今までライブや番組で使ってた楽器のある部屋に帰るりょーちゃんはどんな気持ちでいるんだろうとか。
 『君がこの世界とサヨナラする日 思い出すのはどんな夜かな』まさにそんな私の心情そのままの歌詞は、あの日々の私を見るようでした。もしかするとりょーちゃんも、あの夏はこういう気持ちだったのでしょうか。

 それでもこうして、想いを馳せた本人の曲を聞けている今があります。
 のちに触れるラストノートに出てくる「終わりとセットじゃない始まりなんてあんのかな」という歌詞がありますが、逆も言えるかなと思います。
 長い時間をかけて一時代が終わっていきましたが、今思えばあの「終わり」はある種の始まりでした。始まりがあれば終わるけど、終われば始まりがある。この曲に感じる「救い」の部分は、今私がこうやってりょーちゃんの曲を聞けている、すばるも5人も元気そうにやっている未来が待っていたからこそ、りょーちゃんが新しい始まりを見せてくれたからこそ、心に染み渡っているのかもしれません。

 私が青春をすごしたあの世界とはさよならしたけど、新しい世界へ連れて行ってくれたリョーちゃんを、改めて大好きだなあと思えた曲です。


(6)オモイデドロボー

 既存曲以外で最古参、おととしの12月にリョーちゃんからクリスマスプレゼントです、と言ってライブで歌ってくれた曲。
 主人公を泥棒に見立て、君の思い出を盗んで上書きする、そんなとってもロマンチックなポップスとなっています。
 重厚だったコノ世界ニサヨウナラからまた一転、ガラッと雰囲気が変わります。入念に計算されているアルバム曲順。唸ります。オタクは最も聞きなれている曲なので、ここで一度元の場所に帰ってくるような安心感を覚えることができますが、耳なじみの良い曲なのできっと聞く人みんなそんな感じじゃないかな?これが次曲への小休憩になっている感じですね。
 ずっと前に書き溜めていた曲のようで、1stに収録する曲の候補に出さなかったことを割とすごい勢いで怒られたというエピソードがあるほど、完成度が高いです。今回の曲では一番商業的というか、誰にでも受け入れられるような感じ。
 ピアノの音色が心地よく、クリスマスの浮き立った街並みを連想させます。

オモイデドロボー

オモイデドロボー

  • 錦戸 亮
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 私が一番好きな歌詞は「喧嘩しちゃった記念日も」ですね。めちゃくちゃかわいくないですか?あの、誰もがとろける世界のRYONISHIKIDOから「喧嘩しちゃった記念日」なんて言葉が飛び出て心臓も飛び出ました。かわいすぎる・・・。
 私はこれが披露された1stライブのオーラスに入ってましたが、音響の影響でほとんど歌詞が聞き取れず、この言葉だけ聞き取ってうそでしょマジかよリョーニシキド・・・となったのを覚えてます。
 また、「過去に縛られてるのは誰?君じゃないな」もさりげなく核心をついていてさすがだと思います。結局なんやかんや言いつつ過去の思い出を反芻してるのって自分なんですよね。うんうん。


(7)Middle note

 これが鬼才の仕業。なんとも形容しがたいオルタナティブなインスト。
 これはもう聞くに限ります。聴いて?
 私、アルバムでこれが一番の驚きでした。こんな能力隠し持ってたなんて聞いてねー!
 不協和音チックなピアノのリフがきらめき、ボーカルチョップや打ち込みの色んな音が暴れまわりカオスな世界観ですが、Middle noteのタイトルどおり、時間の経過とともに移り変わっていく香水の香りように凛とした芯があります。
 間奏(?)というんでしょうか。途中の変拍子のところはマジでどうなってんだ?解説不能です。とにかくすごいことをしてることしかわかりません。
 変拍子が終わるとサックスの音色が響くジャズ風味のアレンジとなります。前半のピアノリフはそのままに、今度はサックスが音の海を泳ぎます。
 これはリョーちゃんが最近好きだと言ってるFKJというアーティストのオマージュでしょう。FKJもジャンル分け不能なセンス抜群の音楽(ニュー・フレンチ・ハウスというそうです)ですが、電子音のなかに唐突にサックスが鳴り響くところとかそっくりですね。

Middle note

Middle note

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 私、FKJのようなエレクトロニックなわけわかんないけどメロウなサウンドが大好物なのですが、まさかリョーちゃんがこれに手を出してくれるとは・・・・・・・・。感激で胸がいっぱいです。これが好きと言ってくれたこと自体最高だったのに、自分で作ってくれちゃうなんて聞いてません。いっぱい研究したんだろうなあ、好きなものを自分もやってみたい!!という少年心(やってることはエグいが)が感じられてよかったです。私もFKJ好きだけど作ってみようなんてさらさら思えないから、やっぱりリョーニシキドに不可能はありません。
 今回のMiddle noteは見よう見まねというか、オマージュ感がかなり強めですが、これからサウンドづくりに慣れていってリョーちゃんのオリジナリティが出てくることに期待大です。リョーちゃんの手にかかればエモくてチルアウトなアダルト風味の音楽になりそう。
 まさかすぎる新境地。私はいずれリョーニシキドにこれ系のインストアルバムを出してほしいですね。


(8)微睡み

 「私」がもういない人を想うピアノ主体のバラードです。おそらく女性目線のこの曲は、恋心の執着をびっちゃびちゃに、かつ爽快に歌い上げます。こういう湿っぽい曲はRYONISHIKIDOの専門分野です。専門家による珠玉の一曲。
 Aメロはピアノとハイハットのスウィングで進行し、リョーニシキドの掠れたような泣き笑いの声が胸を震わせます。
 特徴のある女性の声で歌われているのが容易に想像つく、最近流行ってそうなモダンな曲調でもあるように感じました。
 サビは会いたかったんだな、泣きたかったんだな、そんな言葉通り、涙が溢れ出るようなストリングス展開でドラマ性が一気に加速します。意外や意外、RYONISHIKIDOは自分の曲のアレンジでストリングスを嗜む男。隙さえあればストリングスを多用します。
 極めつけは各サビのラストフレーズ、あなた以外で「試してもみたけど」が3連符となっているところですね。ここで情緒が最高潮に震えます。正直それまではただただ聴きやすいバラード、という感じなのですが、最後そう締め括るか....って感じで頭抱えました。この3連符で完結することで、この曲で記された未練や寂しさにグッと説得力が出るのです。いや、さすがすぎ。分かる。ここはそれで終わるのが最適解。タダじゃ帰してくれないリョーニシキド。これがモテる男の実力です。

微睡み

微睡み

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 泣きたかったんだな、寂しかったんだな、で思わずあの夜を思い出してしまうのはオタクの性。でも生きてたらきっとそういうときってありますよね。恋愛でも仕事でも、そのときは何でもないように振舞ってたし、振舞わないといけないと誰に対してでもなく意地を張って、あるときふと、ああ私やっぱりこうだったんだ、って気づくこと。
 でも意地を張りたいときには張ってもいいし、現実を見たくない時もあるよな、とも思います。
そうやって、自分に対して少し嘘をつきたいときに聞いてしまうと、せっかく積み上げた虚勢が壊れて涙がポロポロ溢れてきそうな優しくてグッとくるバラードです。
 あの夜、泣きたかった、寂しかった、って気づけたのもリョーニシキドのおかげでした。


(9)Silence

 夏に行われたファンミで卸された、こちらもピアノが印象的なバラード。微睡みからの同系統の流れが心地よいです。
 コロナ禍の影響で作られた一作。マスクをして、エンタメの停滞を余儀なくされた静まり返った世界にそれでも音楽が響き渡ってほしい、そんな祈りがこめられています。
 誰も声が出せない静まり返った客席に響き渡った「とても静かだな、誰もいないみたいだ」という歌声、あれはあれで美しい瞬間だったと今思います。
 未知のウイルスが流行り、エンタメが自粛された世界で響く心のこもった優しいバラードは、この世界にそれでも音楽がある、音楽がなければならない意味を教えてくれるようです。

Silence

Silence

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 音楽を愛するリョーちゃんが好き。
 詳しくは後編の特典編で記載するつもりですが、わりとふさぎ込んでいたあの時期に、生で音楽を届けてくれたこと、ずっと忘れたくないなと思います。


(10)若葉

 どこかノスタルジックな、上京当時の自分を歌ったという爽快なロック。リョーちゃんにしては珍しく、曲について背景の明示がありました。一人暮らしをする人ならだれでも共感できる、あの新生活の始まり特有の胸の高まりを描いています。
 何もないけど希望がある。
 Tokyoholicで東京で戦う苦労を描きつつ、若葉で東京へ抱いていた夢と希望を描くのに、アルバムを活かした物語性を感じずにはいられません。そして、若葉が後なのも渋いですよね。東京は憎い、好きになれない、それでも捨てられない場所、そんなメッセージを感じる曲順です。
 ちょっとスピッツ風味なんですかね。リョーちゃんスピッツも好きって言ってた気がするのですが、イントロのエレキギターの音色とか特にそんな感じの郷愁を帯びています。

若葉

若葉

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 若いころって物足りないくらいがちょうどよくて、不思議とそれが一番楽しかったんですよね。
一番では「空っぽのトランク」だったのが、最後では「傷つけたトランク」に変わり、「姿変え続ける夢」と続きます。若くて楽しかったころを思い返して美談にして終わらせないのがリョーニシキド。あの頃のように無邪気にはいられないけど、いつまでも自分の信じるものを大事にして進み続けたいと思える、希望の曲です。


(11)スケアクロウ(通常版のみ)

 錦戸亮がグループ時代にソロで歌った名曲。こちらもTokyoholicと同様、1stから持ち帰って歌い続けてくれています。
 アコギの良さが染み渡る8分の6拍子。ハイボールや前作収録の狛犬のように、錦戸亮の作る8分の6は良曲だらけですね。
 スケアクロウ、つまりかかしのように風でも雨でも変わらずに何かを守り抜く強さを歌いあげます。
 スケアクロウ、正直大好きすぎて良さを語りつくせる自信がないので解説は割愛。
 私は歌詞というより音楽が本当に大好き。アコギがここまで響く曲もなかなかないと思うほど、曲全体を通して規則正しいストロークの音が優しく包み込みます。アコギって繊細なんだけど武骨で、優しいんだけど力強い、華々しくはないけど愛着の湧くとても魅力的な楽器ですよね。アコギが似合うリョーちゃんが作る曲らしい。
 初めて聞いたのははるか昔ですが、少し老いた声の再録版は、また味わい深い、全く色あせない良さがあります。
 今のところリョーちゃんの全ライブのセトリに組み込まれているので恐らくリョーちゃんも好きなのでしょう。

 独立してたった一か月で私はリョーちゃんに会うことができたのですが、リョーちゃんがその時に、「アルバムも発売してないのにツアーやってすみません、初めて聞く曲ばかりで盛り上がりにくいですよね。でも、はやくみなさんに顔見せるためにはこれしかなかったんです。」と言ってました。
 『君が迷わないように 見つけやすいように 君を一人にさせないように 僕がここに』その歌詞がまた全く違う意味を持って聞こえて私泣きましたね。
 どんな時代になってもどんな状況になっても、作った時とは何もかもが変わっても、音楽はおろか歌詞だって全く色あせない。名曲とはこういう曲のことを言うのですね。

 自分語りをしますが、高校時代、グループ時代のライブでアコギ一本でセンステに立って、スケアクロウを演奏したリョーちゃんを見てアコギを衝動買いしました。来る日も来る日もレコーディングのメイキングを見てはコードの指の形を覚え、初めて演奏できるようになったのもこの曲です。人をアコギへ駆り立てる魅力と思い出が詰まったきれいで大好きな曲。
 私はそのライブに行ってないので、リョーちゃんが独立するまでスケアクロウを生で聞いたことがありませんでした。まさか一人になったりょうちゃんの声で生で聞ける日がくるなんて、アコギ一本の弾き語りを聞けたり、CDに再録されたりする日が来るなんて人生何が起こるかわかりません。
 でも、今後も人生に何かが起こってもやっぱりこの曲はずっと名曲で、私はずっと大好きなんだろうなと思います。 
 

(12)I don't understand

 アコースティックギターの音が彩るセピア色のフォークソングです。Aメロ、サビ、間奏のみで構成されているシンプルな曲ながら、Aメロからサビの思い切った転調はなかなか斬新。サビの展開はビートルズの風味があり、耳なじみがよくノスタルジックなメロディに錦戸亮の掠れた飾らない歌声が心地よいです。
 間奏で切なく紡がれるソロギターが隠れた主役。ずっと聴いていたい心地の良さ、少ない音数にもかかわらずRYONISHIKIDOのエモーショナルな世界観がこれでもかというほど幅を利かせる逸品です。

I don’t understand

I don’t understand

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 これを聴くと、リョーちゃんにとって、今までに起こった出来事はきっと悪いものではなかったんだろうな、という思いでいっぱいになります。
 あの場所との別れの曲なのでしょうか。私にはそう聞こえます。リョーちゃんはもうあの場所のことを全く口にしないですが、悪い思いは一切描かれてなくて、ただただ青春のツンとした切なさと美しさが漂っているのです。
 賑やかな時間、満たされすぎて。きっとそうだったんだろうな、という素直な感情が穏やかなアコギに乗って響きます。
 いろんな意見を山のように見てきました。良い思いも悪い思いも。間違いだとは思わないのですが、彼があの場所を心から愛していたことは紛れもない事実だと言い切りたい。私が見てきた大切な思い出の宝物を裏付けしてくれるような愛しい言葉たち。
 『悲しむ余裕などなかったあの頃、立ち止まる勇気に気付かされたこの頃。』全部鮮明に、自分のことのように想像することができます。
 サビは英詞で、大事な部分で名言を避けるのもニクいな、と思いました。解釈は聞き手にゆだねる。リョーちゃん自身にもきっとしっかりした思いがある。
 I don't understand.タイトルにもなっているこのフレーズ、いろんな訳ができると思いますが、私は「もうこれ以上気付きたくない」みたいな意味なのかなあ、なんて思いました。
 この場所は満たされすぎて明日が見えなくなるから、早く旅立たなければならないけど、そんなこと気付きたくなかった。
 「永遠」にこだわっていたリョーちゃんは、すべてが一変してしまったときに永遠なんてない、はっきりそう言える。信じたかったけど。というニュアンスの言葉を書き残しています。
 永遠などないことに気付いてしまったリョーちゃんが、それでもWe stay forever young.俺たちはずっとあの頃のまま、と安らかに歌うことができるなら、これ以上によいことはないです。永遠がなくても、永遠を願ったその瞬間があることは永遠だと思えます。誰もが永遠を信じた頃があったということを抱えて宝箱にしまいたい。
 この曲だけは、"あの頃"が好きだったオタクたちに聞いてほしいです。リョーちゃんはこんな風に歌っていること、みんなに知ってほしいなと思います。
なんて言って、これも全くのフィクションかもしれないのですけどね。


(13)ラストノート

 オタクたちの反応を見る限り一番人気の曲です。シンセサイザーが光るロックテイストで、一昔前風の懐かしい賑やかな曲調。
 ラストノートとは残り香の意。すでに隣にはいない、ホワイトリリーが香る愛しい人へのきらめいたラブソングですが、なんだか泣きたくなるような切なさも詰まっています。キッチンで前述した甘エモロック、ここにきてもう一度花咲きます。明るいイントロとは裏腹に、マイナーめのサビが捨てきれない未練を思わせるような寂しげな雰囲気もあり、それでいてクールでかっこいいです。
 そもそもラストノートはインストだと思い込んでたし、Silence,スケアクロウ、I don't understand ときてこのまましっとり終わるのかなと思いきや大どんでん返し、そうこなくっちゃリョーニシキド!アルバムのラストを飾るのにふさわしい華々しい曲です。
 こうしてみると、今回のアルバムでリョーニシキドの曲で彼女とうまくいってるのってキッチンくらい?いつも失恋してる印象があります。

ラストノート

ラストノート

  • 錦戸 亮
  • J-Pop
  • ¥255

 
 『終わりとセットじゃない始まりなんてあるのかな』ここでもリョーちゃん特有の永遠感が語られますが、それでも、『答えは知らなくていい、逃げろ!さあ意気地なし』と続くのです。私はこの部分が本当に大好き。終わるかもしれないけど、誰もそんなことわからないから、ただの逃げと思われようが進むしかないんですよね。I don't understand.と通ずる部分もありつつ、とにかく進め、と強引に引っ張ってくれるようなフレーズです。
 こんなにキラキラして、こんなにエモい曲で爽快にアルバムを締めてくれるエンターテイナーRYONISHIKIDO。曲が終わっても、キラキラして楽しくて、楽しすぎてどこか泣きたくなるような感情。  
 ラストノート、その名にふさわしい残り香的な余韻がずっと心に残ります。


3.まとめ

 全13曲、オタク特有の早口で感想を述べてきましたが、こうして並べてもやっぱり特筆すべきはそのバラエティーに富んだジャンルの数々!ロック、ポップス、バラード、ジャズやブルース、フォーク、果てはMiddle noteのような実験的な一曲まであります。ところどころ好きなものに対する影響やリスペクトを感じさせながら、それでもリョーちゃん自身の曲へとしっかり昇華されている点もうれしい。
 そして一曲一曲が精巧に作られていて、1作目に感じた時間のなさなど微塵も感じさせない丁寧なサウンドメイキングも素晴らしいと思います。端的にいえば捨て曲がない。RYONISHIKIDOがじっくり作りこめばここまでのものができるんですね。リョーちゃんの音楽的センスを信じた私は間違ってなかった、とは言い切れますが、それでも私舐めてましたごめんなさいと土下座できるくらいに、期待の10倍以上の出来でした。
 今好きな音楽を詰め込んだ、いい意味でジャンルやテーマにはなんの統一感もない挑戦的なアルバム。アルバムは変にテーマを設けるより、これくらいごちゃついてた方が楽しくて良いです。出会いと別れがテーマ、と一説にありますが、リョーニシキド自身が出会いと別れにまみれているのでそうなるのは当然、実質テーマはありません。ただどの曲も、リョーニシキド特有の尊い強さと優しさを携えています。
 そんな曲群をNote、香水の移り香に例えながら、一点の一貫性を持たせてしっかりした作品に仕上げてきたRYONISHIKIDOのプロデュース力には本当に脱帽。36歳、ある程度キャリアも積んで自分の色もはっきりしてきて平行線をたどりがちな年齢で、ここまで新しい世界を展開する余力があること、またそれを見せてくれることが私はね、本当に、ほんと~~~~~に嬉しかったです。
 こんなにたくさんのジャンルを使いこなすこと、相当な勉強と努力を要しただろうと思います。そこを惜しまなかったこと、嬉しかった。
 グループ時代、良いアルバムが出るたび、次はどんなアルバムが出るのかな、とワクワクしていたあの感情、またこんなに新鮮に味わわせてもらえるなんて、生きてればいいことあるんだな。
 普段あまり語ることをしないリョーちゃん、音楽で雄弁になるのが大好き。リョーちゃんが依然、「バンドは嘘をつけない」という言葉を残しています。大好きで、何があってもずっとずっと反芻している大切な言葉です。
 まだまだこんなものじゃない、一作目とはまた違った意味でそう言えるアルバムを出してくれるリョーちゃんに感謝。
 リョーちゃんの音楽に救われてます。本当にいつもありがとう。
 さすが俺たちのリョーニシキド!
 これからも楽しみにしています!

 ここまで読んでいただいたみなさん、何をしているのですか?早くスマホをいじる親指を音楽アプリへ動かしてください。
 ぜひ聴いてね!!!!

 https://music.apple.com/jp/album/note/1545365239

 PS.二日で書き終えました。勢いって大事!

*1:

狛犬

狛犬

  • 錦戸 亮
  • J-Pop
  • ¥255

怖い話でもない話

以下ジャニーズ全く関係ないオカルト(?)話です。自担がまたもや週刊誌にわけのわからん載り方をしたのが一番ホラーだし、別に損も得もしないしょうもない内容ですが、お暇な方はお付き合いください。




私は怖いものに関することが好きなのだが、幸か不幸か、霊感というものが全くないので、実際に幽霊に遭遇したり怪奇現象を体験したことはない。そして、正直あまり幽霊を信じていない。科学的根拠もそうだし、この目で見たことがないから。ホラー映画を平気で見れるのも、実際に現れたことがないから、現れるはずがないからという自負が作用しているかもしれない。だから、怖い映画や番組を見ても、一人でトイレにはガンガン行くし、おばけが部屋に現れる心配を全くしない。それより、一人暮らしの虫とか、預金残高のことを思って、夜中にふと怖くなる。


さて、この前、知り合いに怖い話、というか体験談を聞いた。
金縛り中の出来事らしかった。
寝ていたら体が動かなくなって、意識が冴えた。どこからともなく声がする。目を開けてはいけないと思いつつ、目を開けると、白い人影が体の上に乗っかっている。
めちゃくちゃよく聞く、怖い話の教科書1ページ目のような、擦られ倒した、なんのオリジナリティもない(めっちゃdisるやん)エピソードだったが、私はこれは本当の話なのだろうと思った。

金縛りに遭ったことのある方は多いと思う。そしてその中には、金縛り中に幽霊を見る人というのが一定数存在する。これは怪奇現象でもなんでもなく、金縛り中に、自分の部屋に幽霊が出てくる夢を見ている、ということらしい。脳が起きていて、体が起きていない時になる現象で、レム睡眠、ノンレム睡眠、的なやつだ。あまり詳しくないけど、金縛りの時に幽霊を見る人にとって、それが「ただの夢」であることは常識である。中には幽体離脱したり、寝てる自分を上から見たりする人もいる。でもこれも、一部の人には信じ難いだろうが、そういう夢を見る体質ということなので、あるあるらしいのだ。

私も、メッチャ金縛り体質である。初めて金縛りに遭遇したのは恐らく、高校受験前の中学3の冬くらい。それから、テスト前とか、部活の大会前とか、受験の時とか、そういう精神的に忙しい時期には必ずと言っていいほど金縛りになった。それも、年に数回ではなく、そのシーズンは二週間ほど、ほとんど毎日、一晩に三回くらい。寝始めて、体が動かなくなって目が覚めて、またウトウトして体が動かなくなって、の繰り返し。なので、通算でゆうに500回は超えているのではなかろうか。金縛りになったことがない人にとってはドン引きだと思う。友達に話したら「え、呪われてるやん」と言われた。疲れとストレスが重なるとそうなる体質らしい。大人になってからは落ち着いたが、高校の頃は一時期本気で悩むほど、そのくらいの頻度で金縛りに遭っていた。金縛りに遭いすぎて、金縛りが「くる」のが分かるようになったし、「くる」のを避けて目を覚ませるようになった。体が固まる直前、体が底のない穴にストン、と落ちるような感覚に陥るのだ。穴に落ちたらもう遅い。穴に落ちる前に、体の周りの砂のようなものがサラサラ下に向かって流れるような感触がして、それに気付いて急いで意識を冴えさせたら、現実に戻ることができ、体は固まらない。万人がこの感覚を持っているかも分からないけど、私はそうだった。

そして霊感ゼロの私でも、金縛り中は、幽霊というか、色々なものを見た。幽霊の類は全く信じないし、むしろ霊感あるねん。と言われたらわりと引いてしまう類の性格だが、金縛り中に見る幽霊の体験に関してだけは大マジである。というか、全て夢の中の話だから、厳密にいうと幽霊を見た体験ではない。

彼女は怯えて話していたし、あまり周りに信じてもらえてないのだろうな、という話し方をしていたので、私もよく遭うんです。幽霊も見ます。と言った。その人は目を見開いて、やっと仲間がおった、みたいなすがるような目付きで詳細を話しだしたから、分かる分かる〜と思いながら、聞いた。


そして、今でも時々思い出す、少し寒気のする記憶を思い出した。

それは初めて金縛りに遭った日に見た、「なにか」のことだ。
何もかもが初めてだったからか、今でも鮮明に、強烈に印象に残っている。恐怖体験が乏しい、というかゼロに近い私にとって、怪奇現象の類では、心底怖い出来事といえば、思いつく限りはこの出来事のみである。


その日は恐らく夜遅くまで起きていたのだと思う。ベッドに横たわったのは1時を過ぎていた。起きている間に眠気を逃して、ベッドに入っても何十分か、意識がはっきりとしていた。月明かりが異様に眩しかった。それでなかなか寝付けなかったのかもしれない。煌々と、瞼の裏側まで刺さってくる冷たい光だった。
しばらくして、うとうとしだして、よし、眠れるかも、という時に、それは起こった。
ストン、とベッドごと落下したような、妙な浮遊感に襲われた。それで意識が覚めて、寝返りを打とうとしたのか、体を起こそうとしたのか、体が動かないことに気付いた。体が固まってどうやっても動かない。指一本も。今では日常茶飯事なのだが、その時は何がなんだか分からずにパニックに陥った。なにかの病気か、災害で下敷きになっているのか、確かになんらかの異常な事態に襲われていると思った。
やがて声も出ないことがわかる。助けを呼びたいのに、喉がく、く、としか鳴らない。
そんなこんなで、体の硬直と戦っていると、ふと、頭の右の方に気配がした。仰向けに寝ていたのだが、右耳の上の方。なんなのかは分からないけど、とにかく何かがいる。そして、私には、なぜかそれが、「正座している人」だと分かった。自分の右上で人が微動だにせず正座しているイメージが頭にこびりついた。一人部屋だし一人用ベッドだったので、家族の誰かがいる可能性は全くないし、まずそもそも人が枕元に正座できるスペースなどない。でも気配は確かだった。なぜ人がいるのか、なぜ正座しているのか。恐怖で何も考えられなかったが、誰かが正座してそこにいる事実のみが、認識できた。
やがて、体は動かないけど、目は自由だし開けられる、というのも、初めて感覚的に分かった。
その時は、右上の何かを確認したい、という気持ちはなくて、ただこの状態から脱したい一心だったと思う。体の色々な部位を動くか試して、唯一動くのが瞼だけだった。
恐る恐る目を開ける。いつもの天井が映る。右上の何かは見えない。
私の部屋は長方形で、ドアから入って一番奥にベランダに繋がる窓と、その手前にベッドがあった。ベッドとドアの間はテレビやテーブルがあったりする空間が広がるのだ。だから、次に私は目玉を動かして、ドアへと続く空間の方を見た。

空間一面に、部屋を埋め尽くすようにおびただしい数の人が正座をしていた。脳が人影を認識した瞬間に、大勢の人の声がしだした。人影が女性か男性かは分からなかった。私を見ているかどうかも分からなかった。人の声も、女性と男性入り混じったような、とにかく大勢の人の喋り声で、ボソボソ何かを呟いていた。
私は慌てて、視線を天井に戻したが、声は止まなかった。さっきまで右上に感じていた気配は一人だけのものだったけど、今は沢山の人に囲まれているのが分かる。正座している大勢の人たちの影が天井まで伸びていた。それが怖くて、ベランダの方に視線を動かした。いつもベランダの窓のカーテンは閉めていたが、月の光が強くて、ベランダの外が少しだけ透けて見えた。
ベランダにも人がいた。大勢。人影は恐らく、こちらに体を向けて正座している。表情は見えない。とにかく人がいることだけが分かる。
人影は動くこともなく、迫ってくることもなく、ただただ私を囲んでボソボソ喋っていた。最初は私に話かけていたのか、独り言なのかも認識できなかった。内容は聞き取れなかったけど、日常語(?)ではなくて、お経のような言葉だったと思う。

体は動かないけど意識ははっきりしている。聴覚も視覚も働いて、私はしばらく天井に伸びる人影を見ながら、声を聞いていた。所謂金縛りかもしれない、と思ったのはこの時だ。
恐らく金縛りにかかって人影を認識したのに1分もかかっていない。金縛りは3分も続かないものである。でも、永遠に感じた。
声が段々と大きくなりだした。それは、一人の声のボリュームが上がるのではなく、人数が増えたような感じだった。大きさに比例して、声の距離が近付いてくるのがわかった。人がこちらに向かって増えている。近付いて近付いて、体の左右のすぐそばまできた。何を言っているかは相変わらず聞き取れない。顔の横で大勢が喋っている感じだった。

声が耳元まで来た時、



「だから言ったのに」

と言われた。はっきり覚えている。大勢が一斉に、その時だけ声を揃えて、そう言った。叫ぶでもなく呟くでもなく、感情のない声だった。

次の瞬間、金縛りがとけて、顔を動かせるようになった。恐怖で反射的に首を傾けたけど、部屋には誰もいなかった。声も聞こえない。いつもの私の部屋だった。月明かりは相変わらず眩しかったが、カーテンから透けて見えるのは洗濯物や、植木だけ。
何時だっただろうか。覚えていない。時間も構わず部屋を飛び出して、情けなくも半泣きで母親の寝室に行った。母親は寝起きが不機嫌な人なのだが、その時はわりと優しかったのを覚えている。自分も金縛り体質だったことを教えてくれて、あなたが疲れてるだけだと言った。
母と一緒に寝るのはさすがにアレだったので、とぼとぼ自分のベッドに向かったが、その日はさすがに眠れなかった。右側に正座する人の気配、部屋を埋め尽くす影、大勢の念仏のような無機質な声、そして「だから言ったのに」。全てが鮮明に脳みそにこびり付いていた。寝たらまたあれを見る、と思うと怖くて、目を閉じることすらままならなかった。


私の恐怖体験はこれで以上だ。
いま思うとクソしょうもない体験である。
あとで金縛りについて死にものぐるいで調べて、寝ながら自分の部屋(に誰かいる)の夢を見る現象が幽霊を見たと錯覚する原因だと知った。あまりにもあの夜の出来事がリアルすぎて本当に幽霊だったのではないかと思ったが、この2日後くらいに再び金縛りに遭って、その時に私のベッドの下からニュッと顔を出したのが母親だった(爆笑)ので、その時、あ、マジでこれ夢じゃん。とアホらしくなった。そうして金縛りは夢だし、一部の人間にはあるあるで、怖くないものだと認識した。

それからも金縛りで色んなものを見た。貞子みたいなテンプレ幽霊女がベッド脇や部屋の片隅に立っていたり、何かに乗っかられたりしたことは、それはそれは沢山ある。赤ちゃんの泣き声や女のすすり泣きも聞いた。男がベランダに張り付いて、ドンドンと窓を叩いていたり。でも、部屋に現れるのは幽霊だけじゃなくて、前述した母親や友達から、有名人や、ジャニーズまで、様々だった。こういう点でやっぱり夢となんら変わりはないと思った。
金縛り20回目ほどになると達人になってくるので、金縛り中でも目を開けない技や、そもそも回避する技を身につけたりして、幽霊を見ないで済むことも多くなった。「今日は疲れてるからマジで無理」とイライラすることがほとんどになって、丸っきり怖いという感情はなくなった。つい油断して金縛りに遭った際は、気力がある時は目を開けて、どんな幽霊が出てくるのかホラー映画的な楽しみ方をするようにもなった。
それゆえ、金縛りに遭った人の話を聞くのは色んな幽霊話を楽しめるので、とても好きだ。

だけど、あの初回の、部屋を覆う大勢のなにか、そしてあの生気のない「だから言ったのに」だけは、今思い出してもなんだかゾッとする。初回思い出補正なだけかもしれないが、あの時の空気は、それ以降の金縛りと、なんだか一線を画する気がするのだ。うまく言えないけど、何かが決定的に違うというか。夢の内容をあまり覚えていないのと一緒で、金縛りで見たものもほぼ忘れてしまうのだが、7、8年前の話なのに、あの日の三分間ほどの出来事は全て覚えている。声音とか、月明かりの色まで、全て。夢だとはあとで分かっても、その時の寒さとか、至近距離での大勢の発声による耳の鼓膜の振動とか、全部全部、ビデオを再生するように思い出せるから、あの時のことは本当に夢だったのか、と疑ってしまいそうになる。
そして、女が立っている、誰かがお腹に乗っている、そんな金縛りあるあるは何回も体験しているけど、あの、なんとも形容しがたい異様な光景は、後にも先にもあの一回だけしか見ていない。まあ、母親の顔がベッドの下から出てきたのもあの一回だけだけど。。。


「だから言ったのに」。
時々、あの人たちは何者で、私に何を伝えたかったのだろう、と考えたりする。私は何かの忠告を聞き落として、重大なミスを犯したまま今まで生きてきているのではないか。はたまた、気付かぬうちにあれだけの人数から恨みを買われているのではないか。考えたって所詮私の見た夢なのだから意味はないのだろうが、なんとも不気味な思い出である。
できれば、「だから言ったのに」の意味がわかる日が来てほしくないな、と思う。





彼女は初めて金縛りと幽霊に逢ったらしく、興奮して話していたので、なんだかあの夜が懐かしくなって、書いてみた。彼女にとっては生きた心地がしないほど怖かっただろうが、まあそのうち金縛りマスターになれるだろう。彼女が良き金縛りライフを送れますように...。

すばるのこと


まず今回の脱退に関して、すばるは責任を放棄したと、私は思う。

関ジャニ∞という仕事に対する責任だ。
すばるは20代前半で関ジャニ∞という職業を選択して、その選択に責任を取る時期に差し掛かっていたと思っている。夢を追いかけるのが人生ならば、選択してきた道に責任を取るのも人生だと私は思う。無邪気に夢を追いかける時期も確かにあっていいけれど、すばるの置かれていた状況は、そんな時期をとうに過ぎていたのではないか。アイドルグループとは奇妙なもので、メンバー同士、お互いの人生の手綱を握り合っている。普通の会社の同僚のように、同僚であっても他人は他人、人生には関わらないというわけにはいかないのだ。すばるはそれを分かっていたはずだ。14年も猶予があって、なぜ今だったのか。すばるが漕いでいた船は、すばるの他に6人の人生が乗っかっている船でもあった。船が出て14年、陸を遠く離れた大海原のど真ん中で、すばるはオールを放棄して、船を転覆の危機に晒した。
すばるは関ジャニ∞の音楽活動の道を先導して切り拓いてきた。これも“責任”を取らなければならなかった理由の一つであると思う。すばるは歌で世間に存在を示し、そのたびに関ジャニ∞であるとアピールしてきた。そんなことを続けていれば、自然と世間は関ジャニ∞の音楽=渋谷すばるを筆頭としたバンドというイメージを持つだろう。
誰にも頼まれず自発的にそんな活動をしておいて、今更抜けるは正直ナシだろうと思った。自分の精力的な活動で関ジャニ∞にすばるの歌のイメージが定着したこの段階でグループから抜けるのは、あまりにも無責任な行動である、と感じた。


「夢のために」置いていかれる6人を、あの時私は心底不憫に思わざるをえなかった。置いていかれる、不憫という表現が適切でないことは分かっているが、まあ実際そう感じたのだからあえてこう言う。
だって、リョーちゃんはTokyoholicという曲で、アイドルという色んな制限がかかった形の中で、最大限に伝えたいものを伝える努力をした。楽器なんて触ったことがない、音楽と無縁の生活を送ってきて、血の滲む努力をしてやっとの事で習得したメンバーだっている。すばるが先導して提示した道を好ましく思わなかったこともあったかもしれない、グループの方針としてバンド以外にやりたいことは他にもあったかもしれないのに、すばるの歌を活かすために、バンドスタイルを確立した。みんな、必死だった。
それをすばるが、限りなくゼロに近くした。
会見で俺らと夢は見れへんのかなあ、と泣いていた横山くんが忘れられない。横山くんは、コメントに「すばるが色んな景色を見せてくれた」と書いた。この期に及んで、海のど真ん中でオールを捨てるすばるに感謝していた横山くん。横山くんが必死に音楽に喰らい付こうと始めたトランペット。あなたがすばるに見せてもらったと思っている景色は、あなたの努力がなかったら絶対に見ることのなかった景色だった。横山くんが、今後どんな気持ちで音楽に関わるのか考えるとたまらなかった。
腫れた目で震える声で、門出、と言葉だけは立派に言ったリョーちゃん。虚勢を張るのが好きだと言っていたが、「門出」とは本心か、それともあれも虚勢だったのだろうか。

「残された」6人じゃないことは分かっていても、どうしても被害者意識が芽生えてしまう。すばるが辞めると言わなければ、ここまで追い詰められることはなかっただろうから。


夢のためとすばるは言った。

でも、みんな、関ジャニ∞のために数えきれない夢を犠牲にしているだろう。
仕事とは、人生とはそういうものなのではないのか。アイドルになるって、グループとして活動するってそういうことなんじゃないのか。

まあ、私がいくらすばるに文句を言ったって、もう彼は関ジャニ∞からいなくなってしまったから、何も意味がない。
私はずるい。そして無力だ。何も言わずに去ったすばるに対し、こうやって文句を投げかけるしかできない。




4月、私は丁度就職活動をしていた。自分の人生について考えた時期だった。夢についても考えた。すばるの選択についても沢山考えた。
散々悪くは言ったが、規模は比べ物にならないけどすばると同じように人生の瀬戸際に立った身で、すばるの選択が絶対に間違っているなんて到底思えなかった。
夢なんて、しょうがない。夢を見ずにいることは出来ない。人間は夢を見る生き物だ。そして、夢を見るには犠牲が伴うこと、ある程度賭けが必要なことも、就活を通して少しだけ思い知った。

LIFEでリョーちゃんが泣いたことは、わりとショックだったし、救われた。強くて頼もしかったリョーちゃんが、寂しいと感情を露わにしたことで、私の、それこそ「虚勢」が音を立てて崩れた。
私だってすばるがいなくなることが寂しかった。いなくなってほしいわけなかった。7人の楽しそうな表情や笑い声は脳裏に焼き付いている。すばるを否定して、6人に想いを馳せたのは、村上くんやリョーちゃん、「残された」6人側に立った私のしょうもない意地だったのかなと思う。リョーちゃんの涙でそう気付けた。


すばるの言葉は全て本物だったと思う。アイドルになろうとしていたのも、夢のための脱退も全て本心なのだろう。
アイドルになりたかったからアイドルですと言ったし、アイドルの外に夢を見たから脱退を決心して、間もなく告げた。それだけのことなのだろう。
すばるは取り繕おうとしなかった。大倉くんが言った、すばるの「自分の人生を優先させてもらう。」という言葉で、そんなん言われたらもう何も言われへんやんか、と言う気持ちになった。すばるは自分の夢、自分の人生に対してまっすぐなだけだった。それを申し訳ないし迷惑をかけるとは思っているけど、恥だとは思っていないし、実際なんの恥でもない。だから、私がすばるに対して持っている文句は、責任を取らなかったこと、その一点のみだ。
疑問もなにもない。怒りしかない。その怒りも、寂しさに目を背けた結果なのは自分でも分かっている。
まあでもよく考えたら責任感だけでアイドルグループに属するのはタレントにとってもオタクにとっても酷な話で、アイドルにはグループに夢を持ってほしくて、その夢がグループの外に向いたと同時に脱退したすばるの選択は、私の道理と何も矛盾しないのかもしれない。
すばるの真摯な目が、嘘をつけない性格なのを物語っていた。村上くんが、目を見たら分かる、と言ってたけど、一介のオタクである私でも一瞬で分かる、据わった目だった。あ、もう何も残してないな、と分かった。未練も夢も、関ジャニ∞という場所にはもう何も残していない、前だけ見ている目だった。





でも、勝手な決断をしたすばるのことを、嫌いになんてなれなかった。大倉くんの言葉がピッタリ当てはまる。その言葉以外にない。

すばるには、まあ当たり前だけど色んな思い出がある。
私の初めてのコンサートはJUKEBOXだった。ムビステで迫ってくるバンドの真ん中で、真っ赤な衣装を着て燃えたぎるオーラを纏ったすばるの、吼えるような歌声の迫力を私は一生忘れないだろう。虎のような誰も寄せ付けない眼をしていた。
2015年の2月。大阪で、大学受験の二次試験が終わって、地元へ飛行機で帰るまでの時間で、大学近くの映画館に立ち寄り味園ユニバースを見た。すばるのソロ活動に否定的だった私は、それでもやっぱりこの人の歌が好きだと、エンドロールで泣いた。その大学に受かって、未だにその映画館で映画を見るたび味園ユニバースのことを思い出す。私の大学生活は、あの映画から始まった。
元気が出るライブのオーラスで、大倉くんのファンに必死にファンサしたり、ブカブカの衣装でトンチンカンにmystoreを踊ったり、MCで声を震わせオタクに謝るすばるを見て、心底格好良いと思った。あんなにたくさんの人を泣きながら救ったすばるは、やっぱりまごうことなきアイドルだと思ったし、アイドルとは、こんなに格好良いものなのだと知った。
いつかのイフオア千秋楽で、村上くんが本来は舞台中に一曲披露のところを、三曲も披露してくれたことがあった。村上くんは、そのサプライズに泣くオタクに、「すばるが歌を愛しているから、俺もこうやって届けていきたい」と笑った。
ひなすばの渇いた花の演奏や、エイタメのアコースティックコーナーは、音楽とはなんたるかを私に教えてくれた。そこには、幸せの形としての音楽があった。信頼できる仲間とともに奏でる音楽は、言葉以外のコミュニケーションであり、感情の共有である。これ以上の幸せを知らない、7人みんなそんな顔をしていて、その顔を見て、私も幸せになった。




すばるの光線のようなまっすぐ突き抜ける声が好きだった。好き嫌い分かれる、くどくて攻撃的なビブラートが好きだった。歌詞を丁寧に伝えるはっきりとした発音も、ヒロトを意識しすぎと言われた歌い方も、意外とめっちゃうまいラップも、全部全部全部好きだった。
実は、トゲトゲに尖っていた頃の、誰も寄せ付けないすばるの歌声が一番好きだった。こんなの、すばるが抜けた今だから言える。当時はずっと怖かった。すばるがどこかに行ってしまうのが。いつその選択をしてもいいような孤高の歌だった。だからこそ最近は安心して、油断した。
すばるの歌は関ジャニ∞には必要不可欠だったと思う。関ジャニ∞がバンドとして名を轟かせるには、やっぱり、どう考えても彼の歌が必要だった。すばるの歌声に誇りと自信を持ったメンバーが好きだった。彼の歌を活かすためなら楽器の練習を惜しまない、すばるのために尽くすバンドが好きだった。全く声の系統が似ていないリョーちゃんとのツインボーカルコントラストが好きだった。アイドルのバンドにはなかなかない、ただの7分の1じゃないすばるの歌が好きだった。だから悔しい。悔しいから、これは負け惜しみなのかもしれない。すばるのいるバンドとしての関ジャニ∞を見れなかった負け惜しみだ。

歌だけじゃなくて、渋谷すばるという人も好きだった。意外と常識人なところとか、気遣い屋なところとか。コメントのキレも、テレビでボケになるギリギリの下ネタをチョイスできる頭の回転の早さも。義理人情に熱いところも、少し老け出した顔の皺も。メンバーが大好きなところも、関ジャニ∞が大好きなところも。

星の名前を持って、真ん中が似合って、赤が似合って、小さい体でまあるい目をして、アイドルには向いてないバカ正直な性格と、アイドルらしい整った顔立ち。


ああ、好きだったなあ。好きだった。色々言ってごめん。本当は、渋谷すばるが大好きだった。




すばるのいた関ジャニ∞は、私が人生で一番愛したバンドだ。7人のバンドはすばるの脱退により永遠になった。メトロックに出て、ジャムというライブを残し、LIFEを経て、永遠になった。衰退も進化もせず、時を止めた。伝説になった。
7人が残した音楽はこれからも私を救うだろう。
7人を愛して6人を愛することは相反することではないと思う。



すばるは最後まで涙も流さず、夢も語らず、ただただ関ジャニ∞を託して行ってしまった。本音を聞けたのは、会見のあの一回のみだった。会見に全てが詰め込まれていた。
一番ずるいのはすばるだ。嫌われ者を選んだ彼を、結局嫌いになんてなれなかった。そんなの分かっていたくせに。


最後まですばるらしい人だった。誰にも左右されない頑固でまっすぐなすばるが歌う歌を好きになったけど、そんなすばるらしい選択まで愛することはできなかった。すばるの選択のせいで叶わなかった夢が沢山ある。
沢山の才能に愛された彼が全てを捨てて選んだのは、やっぱりと言うべきか、「歌」だった。でも私はきっと心の端っこで、彼がその選択をすることを、ずっと恐れていたし、分かっていた。
分かっていたのに、ずっとその恐怖を忘れさせてくれていたすばるは凄い。ひとえに、すばるがアイドルを楽しむ姿を見せてくれていたからだ。

関ジャニ∞というアイドルグループに、渋谷すばるというメンバーがいたことを、忘れる日が来るとは思えない。良い意味でも、悪い意味でも。
メンバーを、永遠になりそうだった幸せを、7人の音楽を、捨てたすばるをまだ許せない。でもすばるは、私はおろか誰かに許されるために、認められるために生きているのではない。自分で納得する人生を送るために生きる。そんな堂々とした、一点の曇りもない目をしていたから、嫌いになれなかったのだ。


さよならすばる。
沢山の思い出と音楽と幸せをありがとう。

関ジャニ∞として過ごした日々が、あなたの誇りであり、道を照らす明かりになることを願っている。

私はあなたに託されなくても、6人とあなたの過去と未来を愛していくよ。



どうかお元気で。
またいつか、あなたの歌が聴きたい。

Street Bluesという酒に酔う

私はStreet Bluesが大好きで、StreetBluesが本当に大好きである。
絶対に生で聴きたい。今一番ライブでの演奏を渇望している楽曲である。なんなら今までのカップリング全部忘れてもいいのでStreet Bluesを生で聴きたい。それはウソだが、でも本当に、涙が出るくらい大好きだ。
ライブでどうしても聞きたくて、意気揚々とライブのお知らせを待っていたが、いざ発表された今回のアルバムコンセプト上、また今までの彼らの実績から、夏のツアーでStreet Bluesがセトリに組み込まれる可能性を考えると悲しくなった。いやでも是非、是非やってくださいね。
発売されてから時間は経ったが、少しだけ好き勝手にStreet Bluesの話をしたい。色々と見苦しい文章なので、何でもありな方のみ読んで頂ければ幸いである。




そもそもなぜStreet Bluesはあんなに良いのかを、少し考えていきたい。

私の担当(この呼称はすばるが嫌がっているそうだ。ゴメン)は村上信五であるが、最近はもうみんなリアコ枠に参入してきており、箱リアコという最高にだらしない応援の仕方をしている。友達とLINEでオッチャンらとの鍋パの妄想をしているときが一番幸せである。
まあでも歳は離れているし、リアコソングを歌われたところで相手の女と私を重ねるには難しいものがあった、そんな私に舞い降りてきたこの歌、主人公は高嶺の花やビキニのおねーさんを追いかけるダメ男ではなく、ちゃんとした男性である。そして、歌詞を見ても、歳上という設定に全く無理がない。StreetBluesは、ちゃんとした歳上の男性が、お酒の場を舞台に、「俺だけを好きになって」と自信満々に甘く愛を囁く大人の歌だ。オッチャンたち全員(恋愛対象として)好きだけど歳の差があって、高嶺の花でもビキニのおねーさんでもない普通の女である私にとって、経験豊富なオッチャンたちにリアルに甘く口説かれてるような感覚になれるこの曲は、最高以外のなにものでもなかった。
結論としてそれがStreetBluesの良さの全貌なのだろうが、ここで、もう少し細かく見ていこうと思う。



◯StreetBluesに惹かれる理由

・今までにない楽曲

まず、シンプルに、未知との遭遇の感動ということが考えられる。関ジャニ∞にあそこまでオシャンな大人の男の歌が存在しなかったということだ。関ジャニ楽曲は優秀なものが多いイメージだが、ああいうジャジーなテイストのラブソングは案外ない。
青春ノスタルジーや渇いた花は曲の傾向としては似ているが、やっぱり少しタイプが違うし、あそこまでど直球の口説きソングではない(むしろ失恋ソング?)。
また、口説きソングはたくさんあるが、そのほとんどは関ジャニアイデンティティでもあるモテないダメ男が歌っているトンチキソングである。
つまりマジの口説き歌詞+マジのジャズが合わさったマジのやつはこれが初めてなのだ。感覚としては、アルバムJUKEBOXを初めて聞いた時のものに似ている。
これが出来る、しかもかなりの完成度、かなりの渋さで、ということを証明したオッチャンらはかなり強い。もうなんでも出来るのではないか?すでにコミックソング、ロックはお家芸であり得意分野だ。キラキラアイドルソングも言われたらこなす。それに加えてこういうアダルトな曲を引き出しに入れたのであれば、ユニットとして申し分ないのではないか?と思う。




・罪深きパート割

先ほど本気の大人の男のジャズが存在しないと言ったものの、実はThis momentという、エロいテイストのメロディにエロい歌詞が乗っかった曲が、あるにはあるのだ。
思うにこの曲は、各々が三十路になり(This〜は2013年なのでリョーちゃんヤスス大倉くんが20代)、人間として、男として、良い感じに熟している今が時期としてはドンピシャなのではないかと思う。あの頃は、今思うと、This momentを歌うにはまだ渋みが足りていなかった。というより今のオッチャンらの渋みがパない。あの頃想像もしていなかったレベルで、セクシーでクールなオッチャンらになっている。ありがたい。
また歌唱力も格段に成長している。成長もしているし、それが上手く利用されている。何より、Street BluesとThis momentの違いはギター三人衆の歌の使い方の差が大きいだろう。
This momentはすばるがドロッッドロにエモーショナルに歌い上げるのに対し、Street Bluesはスマートなヤススのテーマだ。ヤススがほぼ半分を占めているという点が特筆すべきものであることは明らかだ。最初と最後もヤススで終わる。情熱的な歌ではあるが、ヤススが最初と最後をカラッとまとめ上げる。This momentが発表された2013年当時、このパート割にする発想はなかったのではないだろうか。
ヤススの歌は、器用貧乏と自称するだけあって捉えどころがない。カメレオンのように曲の雰囲気に合わせて歌い方を変えられる才能が、今までは凶と出ていたのか、あまり目立つことはなかった。本人にとっては不幸ではないのかもしれないが、彼のハモリ職人としてだけの扱いは、彼の歌の才能を知る者にとってはかなりの歯痒さがあった。
彼の歌は、実はかなり上手い。上手い、というのは、技巧的であるという意味でもあるし、心を揺さぶるという意味でもある。ビブラートはきめ細かくて美しいし、何より音程の扱いに関してはおそらくグループ1器用であると言える。外さない。いつでもCD音源を守る。また感情表現に長けている。元気が出るソングしかり青春のすべてしかり、ライブのラストの曲の彼を見ていると、ミュージカルを一本見たような壮大な感覚に包まれる。そして、グルーヴ感というのだろうか、音楽に「ノる」センスも随一である。彼の歌に関してはまた記事を別に割きたいくらい思うところはあるのだが、それは今度ということにして、掻い摘んで言えばそんなところである。

関ジャニの歌う曲は、繊細な技術がいるようなものよりかは魂の熱量で歌い上げるものが多い。そのことにより今まであまりフィーチャーされなかったのだろうが、来るべきときが来た。今回のStreetBluesでの大抜擢である。もうこれに関しては、私はようやくヤスス御大が見つかったと涙を流すしかなかった。こういう、"表情"が大切な歌にはヤススの巧みに幅を効かせる歌声は欠かせないのである。

そして、今回のヤススに光るのは今までの器用貧乏で甲高い、捉えどころのない歌声ではなく、33歳男性の、年相応の無骨な歌声なのである。煙草でやられたような掠れた声が色っぽく、あれ、安田くんってこういう声だったっけ...とドギマギしてしまう。一部のオタクを夢中にさせるふわきゅる章ちゃんの影は一ミリも存在しない。三十路半ばの大人の男がありったけの優しさとテクニックで繊細に女性を口説くさまがありありと浮かぶ、粗野というか、荒い歌声だ。これが安田章大さん33歳の素か、と思うとときめくような、そんな声である。もっとも、このStreetBluesのヤススの歌声もまた、カメレオン・ヤススの引き出しの一つである可能性も高いのだが。


また、リョーちゃんのどエロいサビもこの曲の特徴である。
甘い声とビブラートのかからないまっすぐなロングトーンでねっとりじっとり、情熱的でセクシーに歌い上げるのがおなじみリョーちゃんの歌である。
全編サイコーだが、「呆れるほどに」のリョーちゃんのファルセットがマジでほんまにどエロである。腰砕けである。密度の高い地声から、甘い芳醇な裏声に変わる瞬間で死ぬ。ヤメて!何その緩急?
そこから続く怒涛の展開もヤバい。「包み込む夜の帳に胸元も緩くなる もう今日は帰したくない」.....。え、天才?歌詞も天才だし、このパートを日本が誇る色男RYONISHIKIDOに持ってきたのも天才である。大体日本一のイイ男にこんな歌詞を歌わせて、落ちるに決まってるのに、私をこれ以上どうしたいのだろうか(?)
しかしながら、歌声があまりにも濃厚であるあまりIN、OUTにこの熱量でこられたら面食らってしまう(面食らわないけど)ところ、カメレオン・ヤススで余裕を醸し出し、高潮してきたボルテージのピーク、サビ部分で濃密なリョーちゃんを持ってくる、このパート割だ。ひどい。どうあがいても女になる。素晴らしい。
すばるに関してもそうだ。リョーちゃんがベトベトにエロいのに対し、すばるはわりとあっさり目なのもポイントである。すばるも割と素に近い声で歌っている。
例えるならばコース料理だ。ヤススは前菜とデザートで、リョーちゃんはメインのフォアグラと牛フィレ肉、すばるはポルチーニ茸のリゾットというところか。パート割のバランス感覚が非常に秀逸なのである。


他のメンバーに関しても、特に横山くんなんかは最高の横山くんの使い方という感じでもう涙、涙である。横山くんのホワイトチョコのような甘ったるい歌声が完全に陽の目を見た。あんな甘々に飲み干しちゃえばいいとか言われたらもうバーボンでもウォッカでも雑巾の水でもなんでも飲み干すしかない。良かったねヨコチャン...。
我が男・村上信五さんはなんやろ、え、あなたが口説かれてる?みたいな気はしないでもない。口説く気ある?酔った?骨抜きのメロメロな歌声なのだが。まあそれが凄まじくエッチなのでこの際どちらがどうとかは気にするまい。
ここのBメロは1人で担当するのだが、このヨコヒナのBメロの使い方も斬新で、こういう風なパート割があったのだな、と感心したところだ。


このように、ヤススで始まりヤススで終わる、すばるをあまり推さない、目立つBメロにヨコヒナといった、冒険的で奇抜な、しかし奇をてらうだけだなくしっかり個を活かすパート割が、StreetBluesを、今までに類を見ない極上の口説きソングに仕立て上げているのである。




・リアルな歌詞

三点目は、光景の想像が容易である歌詞、というところだ。例えば、これもThis momentとの比較になるが、This momentの歌詞は、なんか抽象的で、どんな恋愛なのか想像しにくいのである。不倫?浮気?二股?まあ何らかの問題を抱えている恋なのであろうが、詳細は分からない(This momentはそれを楽しむ曲だが)。
それに比べ、Street Bluesは、等身大の、ど直球の心理・情景描写が主である。少しキザで、あまり解釈の余地を与えない口説き文句。酸いも甘いも数多く経験しただろう三十路半ばの男性、それもいつものモテないイツマイくんのような男ではなく、おそらく百戦錬磨の色男だ。その色男が、気になる女を落とそうと必死になっている。男女2人でバーに入って、相手の女を落とそうとする主人公は、紅潮した頰、着崩したスーツで、紳士的な優しい笑みでは隠し切れない、"男の人の目"になっている。スマートでセクシーな歌詞だが、その状況自体は大人あるあるのリアルなものであり、歌詞から素直に描くことができる。

以下、妄想が甚だしくなるので注意されたい。



私が描くStreetBluesの舞台は冬だ。

12月、仕事帰りの寒い夜、クリスマスが近付いて浮足立つ街並みを掻き分けて、白い息を吐きながら職場の先輩である彼の背中を追って見慣れない道を歩く。連れてこられたバーには人があまりいなくて、カウンターは木の幹を縦に切った断面のようなつくりである。モダンすぎない、自然の暖かみを感じるナチュラルな内装、薄暗い明り。ジャズが流れている。二軒目。普段使いでも使えそうだが、現実離れしたロマンチックな場所であることは間違いない。いやらしい雰囲気ではないけど、夜に、気軽に異性を連れてくるところではないことは明瞭だ。
一軒目はどこだろうか。村上くんとなら一食2000円ほどの高級蕎麦屋に行きたい。これ取引先との接待で行く店の使い回しやろ、とか思いながら、あまり美味しいとは思えない大人な味を楽しみたい。安田くんとは立ち飲み屋。生大ジョッキを浴びるように飲んでも顔色一つ変えない安田先輩は、それでも少しだけ普段より声が低くなっている。リョーちゃんはお友達がやっている居酒屋。「職場の子」とだけ紹介されて少し胸が痛むけど、お友達の、「コイツあんまり女の子連れてけーへんよ」という言葉にちょっぴり期待する。丸ちゃんとは二軒続けてバーでもいいかもしれない。普段おちゃらけている丸山先輩が色んなお酒の味を知っていて、知らない一面にドキッとする。すばるは普通の、1000円内の、漬物が美味い定食屋が良い。仕事終わりにメシ行くぞ〜なんて言われて、いつもの定食屋に連れてこられて、食後に爪楊枝でガリガリやってる渋谷先輩に「このあと空けてんの?」と聞かれる。大倉くんと横ちゃんは一軒目からめっちゃ気合い入れましたみたいな、オシャレな店が良い。その流れで自然とバーに行きたい。

ああ、こうしてみると、誰も知らない渋いバーに、抱きたい女を連れていくのが似合う男しかいなくて泣けてくる。三十路中堅男性アイドルを応援している恩恵を授かっていることを実感する。

席につき、寒い外を歩いてかじかんだ手に、あたたかいおしぼりが渡る。彼は慣れた素ぶりでよくわからない銘柄の赤ワインを注文する。私はワインに明るくないので、同じものを、とだけ言うと、彼はこちらを見て微笑む。

StreetBluesは赤ワインの歌であると思う。冬の寒い日の赤ワインの歌。ウイスキーとか、ジンとかではない。冷えた体に濃厚に染み渡るアルコールと、ミネラル風味のぶどうの香り。自然色の中で鮮やかに輝くワインのレッド。グラスの中で波打つ、真っ赤に燃える愛の色がカウンターテーブルに反射して、光のルビーを作っている。
1軒目で自分の仕事の話をしていた彼は、段々私の話しか聞かなくなる。お酒は飲む方?普段はどういう店に行くん。誰と。それは彼氏?どんな恋愛してきたん。タイプは。今は彼氏おるん?。頭に響く優しい声と、慣れたようすで矢継ぎ早にされる質問で、酔っている私は取り繕う余裕もなくどんどん紐解かれていく。
三杯目あたりで彼は胸元を緩めて、時計を外す。露わになった首筋は僅かに赤い。初めて見る、彼の何もしていない左手首がセクシーで、ドキドキする。
職場では余裕の表情でテキパキ仕事をこなして焦り一つ見せない彼が、少しだけ顔を綻ばせて、緩くなった口調と、とろんとした目の奥の鋭く光る本能で、心の奥深くへ入り込んでくる。
口説こうとしてるな、と分かる。そんな彼の目から視線を外せなくなっている自分も、すっかり酔っていることも分かる。

気付けば2時間以上店にいる。途中で追加した、彼が好きだという銘柄のボトルもしばらく前に空いた。火照った頬を触っていると、「酔うた?」と聞かれる。帰したないなあ、なんて笑って言われるけれども、冗談なのかそうでないのかアルコールの回った脳みそでは判別できない。

最後にグラスに残っているワインを飲み干した彼を見て、帰りたくないと思う。バーからではなく、彼の隣から。「チェックで、」と言う声が寂しい。財布を出そうとするけれど「ええって」と優しく笑って制されて、ごちそうさまです、と弱く返す。
カウンターチェアから立ち上がると思った以上に酔っていて、歩くのがやっとだ。ジャズもあまりよく聞こえない。大丈夫?という彼の声だけ大きく反響するのだ。

店から出ると雨が降っている。冬の身を切る空気を浴びながら、回らない頭で、傘を差した先輩を呼び止める。振り向いた彼に、帰りたくないです、とか細く呟く。
彼は白い息を吐きながら笑って、うん、帰す気なかったわ。と、冷たい私の手のひらを掴む。彼の傘に入って、熱い手に引かれて、駅とは反対方向へ連れて行かれる。行き先を聞くほど野暮な女ではない。黙ってついて行く。大人の夜に消えていく。



...みたいな想像を掻き立てるStreetBluesだが、酒の種類など個人差はあれど、大幅にズレるような画を描いているオタクは少ないのではないかと思う。まあまあみんなこんな感じでしょう。ですよね?違うよ〜って方は私の描くStreetBluesというブログを書いて、私にDMでurlを送って頂きたい。焼酎片手にニヤケながら読みます。


この曲で印象的なフレーズは"時計を外した"だと思う。
ネクタイを緩める、ボタンを外す、など男がオンからオフになる瞬間を表す表現は様々あるけれども、"時計を外す"とは、ネクタイとかボタンが云々よりは全くいやらしくないのが逆に生々しくて色っぽい。普通にありえる行為の中にエロを見出してしまったらもうダメだ。時計を外す仕草は今まで注視して来なかったと思っていたが、夜ふかしで村上信五が時計を外す瞬間をリピートすることも、そういえば多々あった。やってたわ。でも忘れるくらい、どうってことない何気ない仕草である。考えてみれば、「時計」という嗜好品は、車、ネクタイと並んで仕事のできる男を象徴するものであると思うが、時計を外すという普通の仕草をこんな風に色っぽいフレーズとして応用出来るのは凄いと思う。洞察力の勝利である。(?)
二人で飲んでいる最中、腕時計の金属ブレスレットの中留をパチンと外すヤスス...。うん、色っぽい。


繰り返しになるが、やはりこのような、男性目線のあるあるのロマンチックなラブソングには、今回のヤススのような粗暴で繊細な「等身大の男性」っぽさのある歌声が一番効果的であると思う。
まあでも、天下のリアコ集団7人に歌わせたら声質のリアリティがどうとかいうアレではなくなってくる。普通にみんなリアルである。普通にこんな感じで口説いてんだろうな〜、と容易に想像出来る。キザでロマンチックな大人の男の歌詞が似合うオッチャンら大好き。よく今まで罪夏みたいなアチャ〜な曲が似合ってたな、というレベルで激シブの完成度である。恐れ入る。



ところで、一つの曲の歌詞の中で一人称が俺と僕の二つあるオレンジレンジ現象が生じているのだがこれは意図的だろうか?
大倉くん・リョーちゃんは「俺」で、すばるは「僕」なので、人によって使い分けているのかとも思ったがヤススは俺と僕の二つ使っている。うーむ。
それとも「俺に奢らせてほしい」「俺だけを好きにさせてもいいよね?」はセリフで、「僕の肩にそっと寄りかかればいい」というのは願望なのだろうか?なんとも自信のありすぎる色男であるが、まあリョーちゃんとかヤススに「俺だけを好きにさせてもいいよね?」とか言われたら、女として頷くしか選択肢がない。リョーちゃんに充てがう歌詞として正解すぎるのでヨシ。




◯ライブについて

さて、ダラダラ曲を解剖してきたところでライブの演出の話に移る。

上記の理由で、出来れば夏コンではなく冬に、クリスマス前の東京やクリスマスの名古屋で聴きたい曲である。
7人のオッチャンらは仕事帰りのようなラフなシャツにスラックスでカウンターチェアに座ってほしい。衣装テイストが一緒であれば、ベストやネクタイの有無など細かな部分はバラバラでも可である。むしろその方がいい。
衣装替えを埋めるバーテイストの映像が終わって、オッチャンらはスーツ姿に革靴でステージに上がってくる。イントロが始まる前、ステージ上手のコートハンガーにコートを掛ける。ジャケットも脱いで、チェアの背もたれに掛けてもいい。


バンドか歌のみか。これが迷いどころであるが、苦渋の選択の末歌のみでお願いしたい。カウンターチェアに座って長い脚を投げ出して、歌だけに集中して酔いしれてほしい。
丸ちゃんのウッドベースと大倉くんのドラムは捨てがたいので、二番から入ってもいい。村上信五さんのピアノは出来れば冒頭から。渇いた花が弾ける技術があれば、猛練習すればあのレベルなら可能であろう。
ギター三人衆はとにかく歌だけに没頭して、音楽に陶酔してほしい。

照明は薄暗めの、オレンジっぽいものがいい。あくまで普通のバーの、店内の照明である。ピンクとか紫とかいう官能的な色ではない方がいい。オッチャンらは女をそういうあからさまなに誘ってる店に連れて行かなければならない程、ムード作りが下手な男ではない。ソロで一人一人にスポットライトが当たるのではなく、ずっと薄暗いまま七人を照らしていてほしい。バーなので。

というかもうバーなので、お酒を持ち込みたい。というかもうメンバープロデュースカクテルなどをグッズにしてほしい。オッチャンらも飲んでいいことにしよう。一緒に飲もうや。(無理)


リョーちゃんはきっと片眉を上げて恍惚と歌うし、キングオブアイドルの安田くんは最後のパートで、男の目で胸元のボタンを外すかもしれない。オタクの悲鳴で終わる。
そして、その流れでThis momentを歌い、続くロイヤルミルクストーリーでアダルトでムーディな場から少し和やかな雰囲気にして、コーヒーブレイクでいつものオッチャンらに戻る。
え、メッチャ良い。え、良くない?我ながら完璧である。これが叶ったら、その幸せの絶頂でオタ卒しよう。オタ卒というか、その場で手首を切って人生を卒業するかもしれない。




以上が私のかんがえたさいきょうのStreetBluesだ。叶うといいなあ....。
長々と色々喋ってきたが、まあでも、こんなオタクの戯言は完無視で良い。前向きスクリームの衣装でも、キングオブ男の後でもなんでも良いので、どうか生でStreetBluesを聴かせてください。バーセットなんて小細工しないで、TシャツGパンでもオッチャンらは十分魅力的で格好良いので、ただ、どうしても大人の男の嗜む渋い音楽を生で聴かせてほしい。聞くところによると、すばるがラジオで「どう演出するか楽しみ」と発言したらしいので、その気持ちを忘れずに、何卒お願い致します...!

HappyBirthday!

どこまでもアイドルなところが好き。


あなたはずっとキラキラ輝くアイドルになりたくて、親の反対を押し切ってこの世界に身を投じた。結局王道とは言い難い分野に自分の需要を見出しても、決してアイドルであることを蔑ろにしたことはなかった。

グループがバンドを魅力として売り出していくなかで、あなたが「俺たちはアイドルだ。バンドに傾きすぎてファンを置いてけぼりにするわけにはいかない」と言及しているのを見て、メンバーで一番"アイドル"グループだということに拘ってるのはあなたかもしれない、と思った。

どんなときも元気一杯で、大きい声で、キンキンの笑顔でテレビの中にいるあなたは優しくて強い。
私はあの笑顔のおかげであなたの苦しさや辛さが何も分からないし、それはあなたが一番望んでいることなのかもしれないと思うと、ちょっぴり切なくなったりする。



アイドルってなんなのだろう。アイドルであることを理由に、個人の幸せが制約されていいはずなんてないのに。
あなたのおかげでそういうことも考えた。
だけど結局、私は幸せを制約されたあなたが好きなのかもしれない。

それでも私はあなたが好き。
好きの形が正解なのかどうかは分からないけど、あなたが好きだよ。



美味しいご飯を食べて、色んな幸せにいっぱい囲まれて、たくさんの人に愛されて、いつまでも輝いていてください。

忙しくてクッキー一枚しか食べられなくても、プライベートが窮屈で自由がなくても、それでもあなたがテレビやステージでキラキラ輝き続けることを願う私をどうか許してね。




たくさん正夢を見せてくれたあなたに、これからもたくさんの夢を見たい。

世界で一番のアイドル。
村上信五さん、
お誕生日おめでとうございました。

一年後とかに見て自分で笑う用の備忘録

2018年になった。あけましておめでとうございます。

ぜんぶ2017年へ置いてこれた気がする、ので、少しだけ書いておきたい。
来たる1月26日は褒めちぎるだけにしたいので、これでこの件は一区切り。
いやつらかった。でも、やっぱり好きです。これが結論。
今から書くのはもう呪詛じゃない。2017年の思い出の話で、自己中で身勝手なオタクの独り言です。
10月に出た某誌の件について触れます。お名前などは出していませんが、お気を悪くする方もいらっしゃると思うので、閲覧は自己責任でお願い致します。







一般論、普遍的な話ではなくて、私が感じたことの話です。全部主語は「私」。
私があの件で、彼のしたことは間違いだと思ったという話。





あのときは傷付いた。
撮られたことももちろんショックだった。わりと恋愛枠で彼を見ていたし。もう完璧な失恋。でも、それだけじゃない。というかもう、これは仕方ない。ね。男だし、人間だから。むしろ、撮られたことなんて今回のことにおいてまじで宇宙の塵レベルで些細なことだ。

とりあえず、SNSの海で色んな意見を見た。
もう35歳なんだから女がいるのは当たり前だとか、何があっても味方なのがジャニオタじゃないのかとか、そういうくだらないやつから今回のことでみっともなくブチ切れてた私に対するものだろうな、という意見まで。共感することはあったが、私の心に安寧をもたらす有益な意見は最後まで目にすることはなかった。



私は彼を嘘つきだと言った。で、それは今も思っている。
何をもって嘘というか。これは結構たくさんの人から指摘されたけど、週刊誌やワイドショー、相手の発言と比べてのことではない。彼自身の発言同士に矛盾が生じていた。それを嘘と呼んだ。私はそれだけが本当に辛くて悲しかった。

アイドルとかタレントに限らず、生きていて嘘をつくべきとき、つかねばならないときって結構ある。私でさえそうなのだから、芸能人である彼はなおのことそうだと思う。

でも、今回のはつくべき嘘じゃなかったよ。言わなくてもいいことだった。って、私は思ったんです。私は。





私は彼が大好きで、彼が大好きだからテレビも見てラジオも欠かさず聞いていた。特に深夜の一人ラジオなんかは彼のファンが視聴者のほとんどを占めるような、そんな優しい大切な場所で、彼はほぼ一ヶ月間に渡り恋愛に興味がない、週刊誌に張られているがやましいことなど何もない、と、しつこいくらい言っていた。
某番組でも自ら共演者に話題を振った。最近記者に張られてんねんと。「何もないのに」と。そして、いざ撮られたらあの発言などなかったかのように、笑いを取る方向にシフトして詳細まで言及して。

言い方は悪いけどどうせ撮られるなら、パッと出て、それで終わりの方が全然マシだ。あとから徐々にボロボロ嘘が分かっていくより、一回の花火で終わった方がよっぽど。
撮られたと分かっていたのかなんなのか知らないが、台風の前に窓をガムテープで目張りするみたく、記事に備えてテレビもラジオも必要のない"嘘"で塗り固めていった。それが後からわかった。今までのは嘘だった。共演者まで巻き込んだ。


ラジオで彼がネタにしたとき、これが彼の出した結論なのだと思ってちょっと楽になった。触れていいことなのだと。そうやってネタにして笑いに変えて片付けるのだ。彼らしいなと。相手の発言とか色々あったけど、もう、彼の言葉だけ、それだけ聞いていようと思った。

それで、あの日。某番組での否定、そこから畳み掛ける怒涛の発言の数々。誰から促されたわけでもない、紛れもない彼発信の言葉。あの日私はきっと一瞬死んだのだと思う。否定はまあ良かった。問題はその次だ。今までせかせか張ってきた伏線を最悪の形で回収するもので、あの発言でパーン!と頭の中で何かが弾けてわけがわからなくなって、テレビを消した。号泣しながら友達に電話をして、そのあと3時間くらいヤンマーちゃんのアイスクリームをひたすら見たりして、あのときほど私このまま死ぬんや...と思ったことはない。

なんか...ダサかった。うん。それが一番嫌だったかな。世界一格好良いと思っている男の人が好奇の目に晒され、テンパる姿をダサいと思ってしまった。すぐバレていく嘘をつかなければならないほど追い詰められているダサい姿が、嫌だった。自分でついた嘘の処理を出来ない、しないのも嫌だった。身勝手でわがままなオタクですよね。自分でも思う。



スルー決め込んでればすぐ忘れ去られるレベルの出来の悪いガバガバな記事だった。でも彼の発言によって裏が取れて、炎は大きくなってしまった。彼の発言によって以前までの発言との間に齟齬が生じて、私が傷付いた。



一連の言動の真意はなんだったのだろう。真意などあったのだろうか。

ラジオでの伏線は、優しさかもしれない。彼は真面目だから、自分に与えられた役割を一生懸命考えたのかもしれない。どうするのが正解なのか、誰の顔色を伺えばいいのか。撮られて出るまでずっと考えて、最適解を探していたのかもしれない。それで、優しいから、私たちを出来るだけ安心させたいと思ったのかもしれない。
あの番組での発言はちょっと謎すぎて分からない。私が推してるぶっとび論として、相手方が彼と同じマンションのなんらかの良くないお相手と逢瀬を交わしていて、彼は身代わりとして撮られたというものだ。否定すれば真の逢瀬相手を探され、辿り着かれる。だから彼はわざわざ肯定のようなものをした。だってそうでもなければ、沈静化しつつあった事を大きくする理由がない。うん。これだ。我ながらわりと理に適ってると思う。

とにかく少なくとも私が知っていた、以前の(あえてこう言う)アイドルらしい彼だったら絶対に言わないことを、彼は言った。
まあ今となっては考えても意味はない。対象は現象の起こる理由が決まっている科学じゃなくて、生きる人間なので。


私は彼の言動に対し、最近はわりとなんでも許容できるようになった気がしていた。数年前まで「アイドルの自覚を持って。自分が格好良いって自覚して。」と、死ぬほど上から目線の考えを持っていたけど、でもあの人って、本当はしっかりアイドルとしての自分の意識を確立してる人だった。それは確か。自分が格好良いことも職業がアイドルなことも、アイドルである自分を求めている人がいることもしっかり分かっている人。で、最近はそれをファンに然るべき場でちゃんと伝えてくれるから。
だから、大丈夫って思ってた。どれだけ金持ちキャラや腹黒キャラ、ファンの人数、顔のこととかで弄られても自らネタにしても、かわいかったおねえちゃんやキャバクラとかの話しても、別に何も思わなかった。分かった気になっていた。彼は、アイドルとしての最後の矜持のような部分だけは守ってくれるんだって、バカみたいに信じてた。

それがダメでした。心の敗因。結局それだって、たかが他人に対する上から目線の、根拠のない、信頼とは名ばかりのただの偏見だった。「アイドルと自覚してない」並みにくだらない偏見。神話のようなものだった。
彼も人間で、私も人間。彼はテンパるし私は傷付く。絶対なんてない。人間は予想出来ない。それが今回学んだこと。

考えたら考えるほどつらくなって、ああ、恋してたんだなぁ...って自覚した。恋だった。失恋だった。そして失望だった。自分のなかのあの人像から外れた行動をあの人がとって、勝手に失望した。勝手に傷付いて罵った。あんなに好きだったのに。私って結構浅はかで酷いやつなんだなと思ったり。
とにかく全部に絶対など言い切れないと思った。今までのことを思い出して寂しくなったりした。











そして、やっぱりそれでも忘れられなかったものって結構あった。



めちゃくちゃ傷付いて、もう知らんわと思って、嘘を付かれたラジオを聞くのもやめた。彼から一旦離れたらメンバーの魅力的な部分がたくさん見えだして、本当に支えられた。一瞬箱推し状態になって、それはそれで楽しかった。
でも、でもでも、でも、でもね、やっぱり彼が大好きだった。顔が好き。メッチャ格好良い。声もセクシーだし体は最高だし。笑顔がかわいい。仕事ぶりが格好良い。そして、今までしてきてくれた色んなことに思いを馳せた。彼を追ってきた日々はキラキラして、幸せだったし楽しかった。彼は世界一のアイドルだと信じて疑わない、色んなことがあった。それは彼自身の意識がどうこうではなく、事実としての話だ。彼の言葉や行動で救われた瞬間って、数え切れないくらいあった。
うん。やっぱり好きだ。っていうのを、ItoUの時に感じました。あれで吹っ切れたかな〜。まず彼の有無を言わさない顔面の実力。あらまー、こら負けたわ、と思った。そして次々思い浮かぶ思い出。もう信じられないくらい酷いことされたという自己中な被害者意識は全然あるんだけど、それを上回るくらい、あの人は格好良くて優しいアイドルだって私知ってるし、もういいやってなった。
本当はずっと分かってたけど、それで許すってなんか負けた気になるから、意地を張っていたのかも。
ああでも、勝つ負ける許す許さないじゃない。誰が悪くて誰が上とかない。整理とか一生つかない。好きだからしょうがない。ただの勝手なオタクの一方的な思いなんだから、どうだってよくて、混沌としてていいんですよ。
まあまあ笑えるようになった。全然笑えることじゃないけど、引き攣りながらも笑えるようになった。まだまだ朝のアレも昼のアレも見れないし、LINEニュースとかで名前を見るたびに絶叫する癖は抜けないけど。それくらいいいよね!



私が傷付いたのなんてそれこそ宇宙の塵レベルのこと。

アイドルって、ずっと受け身で笑ってるんですよ。アイドル側が閉ざすことはない。オタクは好き放題言って勝手に離れていくのに、何も言わずにずっと笑ってそこに居てくれるんです。なんて健気で切ない存在なのだろう。あの人もそうだった。私がブチギレている間も、手を抜くことなく変わらず仕事をこなして元気にテレビとラジオして、歌番組でもちゃんとキラキラして、いくつか新しい仕事もとってきて、ずっと笑ってくれていました。
で、ItoUで「もう愛してくれないから」って歌う彼を見て、初めて、悪いことしたなと思った。ごめんねって。取り返しのつかない裏切りをした気分になった。何があってもずっと変わらず笑顔と元気をくれていたのにね。まあ私は何も悪いことはしていないつもりだけど(此の期に及んで悪態をつくクソ)、でも、ごめんね、って言いたくなりました。
ごめん。酷いことたくさん言ってごめんね。嘘つきって言ってごめんね。味方でいてあげられなくてごめんね。勝手なオタクでごめんね。愛してるよ。大好きだよ。やっぱりずっと大好きだよ。


と、いう気持ちで2017年を終えました。


そして、2018年元旦、カウコンで、テッカテカの鬼男前な顔面で、日本のイケメントップ100人と全ジャニオタの前で漫談ラップを披露して、日本中の初笑いをかっさらったあの人を見て、あ〜やっぱり世界一の男やなって、笑いながら泣いたという話です。




これからアイドルを推そうかなと迷ってる人は、顔が好きな人を選びましょう。少しのことなら顔面力がカバーします。顔が良いからしょうがない。顔は事実。顔は正義。







今回の件ではSNSではなく、友人と話すことが多かった。私の友人は聡明な人たちばかりで、いくつか今後の応援の指針となるようなアドバイスをくれた。
あなたはただのオタクなのだから、彼にとって大勢のうちの一人だから、あなたがどう思おうが彼には取るに足らないことだから、あなたの好きなように解釈すればいい。どれだけ勝手だろうが信じたいことを信じればいい。
迷惑を掛けなければ好きの形など自由だ。日常を彩るためにアイドルを応援しているのに、見たくないものを見て日常が辛くなったら、本末転倒ではないか。

そう思う。そう思ったら楽になった。
信じたいものを信じる勝手なファンでいようと思った。これからも好きでい続けたいという勝手な理由で。


これに尽きる。

私ってわりとナイーブなのでこういうスキャンダルは絶対にダメな人だと思っていて、もし彼にそういうことがあった場合には耐えられない、最悪の場合死くらいは前々から自覚していたけど、記事が出るよりもヤバイ状況になってなおなんとか生きている。生きるどころか変わらず活動を追って録画も続けてい舞台にも応募した。落ちたけど。人って思ったより強い。


家で友人と電話をしていた際、私の家の最寄の踏切の音が友人に聞こえて「早まらんで!!」と言われたのは結構オモロイ。

こんな私のうんこみたいな愚痴を電話や居酒屋で長々聞いてくれた、優しいことばをかけてくれた数々の友人に、素敵なことがありますように。

ジャム瓶に夏を詰める


私の夏が終わった。
あんなに待ち遠しかった、終わらないだろうと思っていた夏が終わってしまった。おっちゃんらは次の動きを発表してくれないし、何してるのかと思えばなんかおじじコスしたりパペットになったりしてるし、まあでも、ツアーと舞台やらドラマやら27時間テレビやらを兼ねた鬼スケジュールを、嫌な顔一つせず(?)本当によくこなしてくれたと思います。尊敬と感謝しかないです。ありがとう、お疲れさま。次に会えるときまでにお金貯めて、痩せとこ。



ライブツアージャムの感想という名のポエムを書いていこうと思う。




ジャムの特徴は何と言っても、バンドパートとアイドルパートに分かれる二部構成であることだろう。そして、第一部のぶっ通しバンド一本勝負は、関ジャニ∞初の野外フェス、メトロックを彷彿とさせるセトリだったことは、私がジャムの感想を書く上で、欠かせないものである。



私には、どうしても許せないことがあった。


関ジャニ∞がメトロックに、私たちを呼ばなかったこと。チケットが売り切れてから出演を発表したこと。
主催者側の意向なのかエイトたち本人の意思なのかは知らないが、私は心の広い大人でも有益なオタクでもないので、もうこれに関してはおおよそ平常心というものを忘れ去り、ひたすらキレ散らかしていた。


私はエイトのバンドが好きだ。すばるの魂の歌声、楽器を扱うという独特な姿、音楽から垣間見えるメンバー間の精神のやりとり、信頼関係、そして村上くんの優しく力強い表情、全てが詰まっているのが関ジャニ∞のロックで、バンドだ。
私はただ、野外で、大空に響きわたる彼らのまっすぐな音楽が聞きたかった。それは、当たり前の願望だと思う。だって私はオタクだ。彼らが好きだし、彼らのバンドが好きだ。
なのにファンを差し置いて野外フェスに出演し、ファンがその姿を見る方法をわざわざ閉ざす、「来るな」とでも言うようなそのやり方に心底腹が立った。すばるはよく、俺たちはアイドルだと言う。ならば、野外でバンドを繰り広げる自分たちの姿をそのファンに見せない理由はなんなのか?野外フェスの客層に自分たちの音楽を認めてほしいのか?アイドルのファンと、野外フェスに来るような、言うなればロックのファンを、あちらが積極的に区別しているのではないか?アイドルとロックを、彼ら自身で線引きしていることにならないか?私はずっと考えた。考えれば考えるほど腹が立って、かなしくなった。苛立ちは連鎖し、"オタクのあるべき姿"を押し付けて来るツイッターの一部のファンにも死ぬほどうんざりしたし、アイドルじゃなくてバンドだったと持て囃すメトロック客の感想にもブチギレていた。
ブチギレていたので、あの時期のインタビューは冷静に読めていない。だから彼らが真髄を突くような発言をしていたとしても、取りこぼしているかもしれない。少なくとも私は、彼らがメトロックにファンを、私を呼ばなかった理由が分かっていない。未だに謎のままである。


しかし、だ。

名古屋2日目、私の初日、バンドパートはほぼほぼメトロックと同じセトリだと気付いて、

ああ、連れて行きたかったのだな、
と思った。
メトロックでの姿を見せたかったのだな、と。
私は彼らがやりたいことをやる姿が見たかった。バンド一本で勝負する、そういう、彼らが少なからず憧れていただろう環境で輝く姿を見たかったのだ。大空に響く音楽より、関ジャニ∞に対する非オタの反応より何より、未経験を経験する、憧れを現実にする彼らの姿を、この目で見たかった。
だから、これでいいと思った。ジャムバンドパートでの彼らは自由気ままで、楽しそうに気持ち良さそうに楽器でコミュニケーションを取り合い、有り余るパワーを音楽に変えて会場へ放っていた。まるで、メトロックが問いかけで、ジャムが答えであるかのように。彼らが野外フェスでどんな姿をしていようが、何を感じようが、私にとってはメトロック後のライブジャムで見せてくれた、あの頼もしい表情が結果で、全てだった。

私はあの顔を見ると、チョロいオタクなので、許したとか許せないとか、野外だとかアウェーだとかも、なんかもうどうでもよくなってしまった。メトロックに行けず見られなかった景色はもちろんあった。でも、ジャムで見ることが出来た景色の方がはるかに多い気がした。

私は、あの人たちに、アウェーもホームもない、自分たちの音楽を聞く人らはみな客だと言ってほしかったのかもしれない。みんな楽しませられるから誰でも来いと言ってほしかった。客層にこだわってほしくなかった。だから寂しくて、一人で傷付いた。


関ジャニ∞は、フェスで結果的に大成功を収めた。それでも私を置いていかずに、しっかりと、律儀に、澄み渡った大空に響いたであろう音楽を聞かせにきてくれた。今思えば、自分たちの糧にするための、自分たちのための、今現在のオタクのための、あるいは将来彼らの音楽を聴く人たちのための出演だったのかもしれない。分からない。でも、関ジャニ∞が、私たちにあの日のセトリで、あの日と同じバンド一本勝負を聞かせてくれた。私はもうその事実だけで十分だ。



後日、メトロックの映像を見た。絶対買わねえ〜と意地を張っていたが、結局買ってしまった。負けた。
私のよく知っている彼らが、私の全く知らない顔をして立っている。緊張感に包まれた、それでも覚悟を決めたような気高い表情だ。そんな張り詰めた彼らの歌を受け止める大きな空が、青とオレンジが混ざりあった柔らかい色をしていて、なんとなく私が見た豪雨のあとの十祭の空を思い出した。
メトロックの舞台の関ジャニ∞はとっても格好良かった。探り探りで会場を見渡していた彼らの表情は徐々に緊張が解けて、清々しいものになっていた。誇らしかった。初めて、これで良かった、と思えた。野外フェスに、彼らが出演出来て良かった。
ジャムをつくる上で、おそらくメトロックはなくてはならない舞台だったのだ。メトロックを見て、ジャムに行って、答えが出たような気が、しないでもない。そんな感じで個人的な納得がいって、私は自分の気持ちに整理を付けた。

ちなみに、これは意地でもなんでもないが、私はやっぱり、ライブでの、優しい顔をした私のよく知る関ジャニ∞が好きだと思った。






ジャムで、もう一つ、強く印象に残ったことがある。
ライブ自体が、元気が出るライブを思い出させるものだったということ。セトリや、挿入される映像、大倉くんの髪型。



私が2年前、元気オーラスを終えて書いたブログにはこう書かれてある。

"私はやっぱり、7人揃ったオーラスが見たかったよ。どれだけすごい公演でも、一生に一回しかない経験でも、それでも、大好きだった元気が出るLIVEのオーラスを7人で迎えてほしかった。"
"私は、悔しいに楽しかったは勝らなかった。悔しい。"

うん、悔しかった。私はどんなにあのオーラスが大切でかけがえのないものになったとしても、やっぱり悔しくて悔しくてたまらなかった。最後の勝手に仕上がれは、からっぽのドラムセットを取り囲む彼らの慟哭を聞きながら、ぼうっと立っていた。抱負を語るはずのすばるのMCは、涙で覆われた。DVDに大倉くんはいない。大好きだった元気が出るライブを見返すことは出来なくなってしまった。

でも、もうジャムがある。ドラムセットに大倉くんがいる勝手に仕上がれ、くらりょパートのあるWASABI、すばるの悲しい嗚咽が響かない侍唄。大倉くんのいた元気が出るライブがかえってくるわけではないけれど、それに似た気持ちを勝手に感じた。

福岡、オーラスの勝手に仕上がれが始まって、オーラス独特の熱気に包まれ、懐かしい気持ちを覚えると同時に、何かが昇華したような清々しい気持ちになった。意図的なのかそうでないのか知る由もないが、確かにジャムは、私を元気が出るライブに連れて行ってくれた。誰かが泣いている記憶は尽く塗り替えられ、オーラスに7人が笑っている記憶になった。誰一人暗い顔をしていない、熱いエネルギーに満ち溢れた勝手に仕上がれを見て、私はあの日からずっとこの光景が見たかったのだ、ということを思い、少しだけ泣いた。



バンドパートとアイドルパートに分ける構成も、私はとても好きだった。
私は元々バンドイコールアイドルの部分ではないとは思っていないけれど、それでもオタクたちの見たいものを見せようという気概が伝わってくるのはとても嬉しいことだ。やはりジャニオタであればダンスをする自担が嫌いな人はいない、ということを分かってくれている、みたいな幸福感さえある。
アイドルパート、特に序盤が怒涛のアダルト路線だったのも最高だった。夏がそうさせたのだろうか?(?)
欲を言えば、最後にもう一回バンドが聞きたかったが、そんなものは取るに足りないわがままで、基本的にはジャムは文句の付け所のない、素晴らしいライブであったと思っている。





以下、記憶力がカスなので一曲一曲レビューすることはもはや無理だが、これについては述べたいというものを記しておきます。※村上くん多め





◯村上くんのリストバンド

村上くんのキーボード姿が真上のカメラに映ったときに、ジャム仕様のリストバンドが付けられている手首が映る。何あれ?!めっちゃエロだった、、😭村上くんの良いところ出てた。夏の健康的な色気が出てた。福岡ではなかったように見えたのが寂しい。あのリストバンドを付けた腕で施される乱暴グリッサンドが本当にたまらなかった、ので、あの手付きだけを収めた特典を期待しているところである。ナイスグリッサンド!



◯夢への帰り道

村上くん、ピアノ、本当にうまくなったね〜〜😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭と毎回号泣しそうになった。
音が、ピアノをしている人の音になったね。強弱ではなく、柔らかい、表情のついた音が出るようになった。もうハラハラしない。村上くんの弛まぬ努力と、ピアノに真摯な姿勢がもたらしたたおやかな伴奏は、頼もしく、優しくしっかりメンバーの演奏を支えていて、震えながら鍵盤を触っていた頃が懐かしくなった。
一方通行なバンドに飽きてきたフリーダムおっちゃんらのお遊びが見られるのもこの曲だ。アレンジが加えられるということはそれだけ上手であるということだが、名古屋2日目はさすがにお遊びが過ぎたのか、曲の最中にすばるが注意してやり直した。オーラスはあからさまにDVD用だったのがオモロかったです。



◯生きろ

アルバムで一番好きな曲だ。シンプルなコード進行は彼らのまっすぐな歌声を載せるのにぴったりで、ドームではストレート球のように直線的に響き渡り、心に心地よい振動をもたらす曲だった。
東京での、すばるの腹からの「生きてくれーーー!!!!!」がサイコーで、涙が出そうになりながら打ち震えたな〜!ああいう声を聞くためにライブに行くのだと実感した。



◯DONAI

村上信五は、あのピチピチギラギラピンクドスケベスーツが世界一似合う男だった。ほらいい顔してる♡が凄まじくイイ顔をしていることに定評のある村上信五なのだが、あの瞬間の悲鳴に味をしめたのだろうか、東京最後の方なんか、完全にエッチな感じを作っていましたよね?!このおませさんめ!



ノスタルジア

最高だったです。ジャムは全てが良かったが、その中でもあえて「これのために8000円払った大賞」を贈るとすれば、この曲かもしれないくらい、本当に良かった。
シンセと四人のコーラスが組み合わさった壮大な音楽が、会場の空気清浄機と化し、青と白の、洞窟の中のごとく厳かな照明に照らされると、空気清浄機により澄んだ冷たい空気に身を包まれるような感覚になる。エメラルドの衣装を纏い、東西南北から十字を描くように集まる四人は神秘的なオーロラのようで、田舎道を照らす懐かしい星空のようで、雨が降った後の森林の木々から滴る雫のようで、それはそれは美しかった。
一言で表すなら、「別世界」がふさわしいかもしれない。
エモいとか格好良いとか、そんなものでは到底表すことのできないものをみた。あの瞬間だけ、現実からかけ離れた空間になった。
ダンスと四人の表情、衣装、照明、音楽、全てが調和して、幻想的な別世界へと私は連れて行かれる。そんなこと、関ジャニ∞のライブでは新鮮すぎる体験だ。また、それでもどこか郷愁みたいなものを感じるところがある。ダンス、歌、演技の三要素全てが詰まって、逆にそれ以外は全く溢すことのない完璧な演出が逆にグッときた。年上組が気概で関ジャニ∞を引っ張ってきたならば、技術で関ジャニ∞を支えているのはこの人たちだという事実を突きつけられている気がした。answerの年上組がオタク心の柔らかいところに正拳突きを食らわせてきたエモすぎる演出なのも相まって、ノスタルジアのストイックなあの演出はより一層年下組の魅力を際立たせる。
素晴らしいものだった。呆然とするしかなかった。傑作だ。絶対にマルチアングルが見たい!!!!!!



◯えげつない

乱暴に上着を脱ぐ村上くん、村上くんのしなやかな三角筋、バテ気味に顔をしかめながら水分補給をする村上くん、ラップバトルの傍らソファにふんぞり返る村上くん



◯今

嫌いなわけではないが、ずっとしっくりこない曲だったし、ライブで聴いても特に...という印象だった。
が、オーラスで、最後の最後でおっちゃんたちが歌う「さよなら またいつか 会うまで」を聴いて、夏の終わりを思って切なくなった。27時間テレビの主題歌でもあり、思えばこの夏を象徴する曲となった。お世話になりました。


◯純情恋花火

浴衣の村上くん




◯KINGちゃん

居たら居たでボロカス言うけどいざ居なかったら寂しい、そんな存在だと気付かされた。正直、Wアンコで彼の登場を期待している私がいた。
十祭の初登場から3年、6回連続で関ジャニ∞のライブにゲスト出演してくれたが、ついに別々道を歩むことになったのだろうか。きっと僕らが生きる明日は悲しいけどもうひとつじゃないのだろうか。
それでも、それでもヤツがくれたぬくもりが胸にあるのは確かだった。ヤツは本物のエンターテイナーだったと、ヤツの出て来ない舞台で改めて実感した。青春のすべてでの桃色の照明は、あの男を包んだ紫のペンラの海に似ていて泣けた。関西から出て来たラッパーにとって、今までの三年間や、あの一面紫の光景は、青春のすべてになるのかもしれない。
KINGちゃん今までありがとう。ときどき遊びに来てね。忘れはしないよ。




◯デコ出し

私は村上信五のデコ出しが好きだ。しかしエイタメがまあ終始前髪ぽやひなだったのでもう期待することもなかったが、諸事情で地元大阪公演を諦めた私の目に、突如入ってきたデコ出しレポ。何が何でも入っておけばよかったと半狂乱になるが、幸いなことに名古屋2日目、私的初日からデコ出しんごを見ることができた。そこから東京1日目、東京2日目とデコ出しんごだったが、東京3日目はまさかのぽやひなだったのだ!ジャム4日目にしてぽやひな初遭遇である。
ぽやひなもぽやひなでかわいかったが、いかんせんデコ出しんごが格好良すぎたし、バンドではやっぱり、限界まで男らしい姿が見たかった。
そこから私は福岡(収録公演)がぽやひなだったらと不安を抱える日々を送ることになる。
迎えた福岡公演、私の愛する男は、デコを出して、力強い眉、凛としたセクシーな瞳で、一局の27時間分を背負った、魂を据えた顔付きで、私の前に姿を表した..........。



◯銀テ
いつものあのセリフが、村上くんの文字で書いてあるのだ。村上くん私頑張るよ。頑張る。






元気が出るライブとメトロック、二つの場所に捉われていた私の地縛霊を成仏させてくれたジャム。かつマンネリを打破するような斬新な二部構成であり、30代の男の余裕とプロの色気でオタクを圧倒したジャム。
私はまだまだ彼らを知らない。彼らだって、まだまだ自分たちに何があるのか分からないだろう。おっちゃんたちがどんなおっちゃんたち自身を引き出してくるのか、また楽しみになった。そして、私たちを新しい方法で楽しませようとしてくれているおっちゃんたちの気持ちが、何よりとても嬉しかった。
あと、村上くん27時間テレビおつかれさま!まだ全て見ていない(?!)ので、頑張って見ます。
良い夏だったし、良いライブだった。あっという間に終わってしまった。エイタメで村上くんが言った"初夏"さえも10年後くらいに感じていたのに、全て終わるのに体感6日ほどだった。それも全部、夏が楽しかった証拠だし、おっちゃんらのおかげである。
関ジャニ∞には冬も似合うけど、夏もとっても似合うことを知った。
出来れば今度は、夕焼けの夏の空に響き渡る彼らの歌が聴きたいと思う。



バイバイ夏。また来年!